物語化する力

 

    小川洋子が、「アンネの日記」にもとづいて「言葉はどのようにして人を救うのか」を書いている。

 

    「時折、私はこんな想像を巡らせます。大昔、進化の過程で言葉を獲得したばかりの人間が、狩りを終えて焚火を囲んで語り合っています。

    『さっき俺は死にそうな目に遭った』

    ある男が語って聞かせる。しゃべっているうちに、だんだん自分にとって大事な部分は誇張し、不必要な部分はカットし、ストーリーを持たせ、自分の心に合う形にして語るようになる。するとそこに、共感のようなものが生まれる。『そうかい、それは大変だったね』――、これが私には『物語の発生」だったのではないかと思えるのです。」

 

    なるほど、そんなに人類の草創期にまでさかのぼるんだな、とぼくは驚く。実際、物語を書くということは、自分の体験、自分の感情・感性・欲求、自分の思想、自分の世界観にもとづきながら、創造の翼を広げる行為だ。人間だれしも体験するのは、誕生と死だ。家族をつくり、村落を構成し、労働をする。たくさんの出生に出会い、たくさんの協同を行い、たくさんの死に出会う。

    そして小川洋子は次のように述べている。

    「わたしは作家となってからも『アンネの日記』をはじめとするホロコースト文学を、一生のテーマだと思い、読み続けています。究極的な苦痛を味わった人が、それをどうやって受け入れていくのか。

    河合隼雄先生と対談した折、わたしが最も深く共感したのは、押しつぶされそうに耐え難い、大きな岩石のような苦しみが、言葉という形を取ることで頭の上から足もとへ移動し、重荷からその人自身の土台へと変わる。悲しみや苦しみは決して消えないけれど、置き場所を替えることはできる、という言葉でした。

    ホロコーストのような厳しい体験の場合も、物語化する力こそが、その人を救う。アンネはいつ終わるとも知れぬ隠れ家生活の中で、日記を書くという行為を通して現実を物語化し、なんとか心の均衡を保ってきたのです。人類が誕生してはじめて物語を獲得したのと同じ行為をアンネはひとりで会得した。焚火に向かって語るように、日記に向かって語ったのです。」