賢治の実施した「北海道修学旅行」

 

 宮沢賢治は、花巻農学校の教員をしていた時、北海道への9日間の修学旅行を計画し実行した。貧しい暮らしをしている花巻の生徒たちにとって、9日間の修学旅行の費用捻出も大変だった。この修学旅行には賢治の、生徒たちの、未来への夢が託されていた。

 1927年(大正13)、汽車の旅。北大キャンパス、ニレの並木、ドイツトウヒの樹々、付属植物園、博物館を見学する。ヒグマの剥製、鳥類の標本、多くのものに生徒たちは驚嘆した。

 つづいて、サッポロビール会社を訪れ、ビールをつくる過程を参観。

 さらに修学旅行は、北大農学部にある施設を訪れ、北海道に移住し開拓にたずさわった内地からの移住民の悲惨な歴史、生活、アイヌの生活、農機具、農産物を調べて回った。

 9日間の長い旅、北海道を観察して生徒たちは考える。自分たちの故郷はどうだろう。我らが故郷に独創的な生産物ありや。我らが故郷の生活は如何なりや。

 

 賢治は修学旅行復命書に書いていた。

 「巧妙なる機転、驚嘆せざるなし。しかれどもかくの如き、今日の工業中にありては、実に稚拙茶飯事にすぎず。およそ人類のいやしくも思想するところ何事か成せざらん。工業と言ひ農業と言ふ。何事か思想に非らんや。ただ複雑にして征服し難き農業諸因子のなかにおいて、今日の農民、営々十一時間を労作し、わずかに食を充つるもの、工業労働に比し、数倍も楽しかるべき自然労働の中において、これを享楽するの暇さへ無きもの、将来の福祉きわまりなからん。」

 

 そこから賢治たちの、故郷を創る夢、イーハトーボの構想が生まれていったのだった。

 目的を持った修学旅行、はたして今の日本の多くの学校の修学旅行はどんな目的を抱いて実施されているのだろうか。