小田実と玄順恵の対話

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小田実と玄順恵の対話

 

トラブゾンの猫」の中で、夫婦の対話が出てくる。それはアテナイ人の民主主義の形についてであった。

 王がいなかった古代ギリシアでは、選挙よりも公開の場で皆が自由対等にしゃべる言論の自由が何よりも優先・重視された。デモス、すなわち「小さな人間」の重要性を最初に言いだして実現させたアテナイ人のデモクラシ-とはどんなものだったか。

 国家の官吏は置かれず、行政の係は持ち回りで、市民(18歳以上の男子)全員が、くじを引いて参加することになっていた。数千人が集まる民会には、25キロメートルも離れたところからでも、農民や水夫、職人たちが歩いてやってくる。民会では、生活向上のための政策から、戦争するか否かまで話し合い、選挙は最後、戦争の指揮官や将軍を決めるときに行われた。そしてすべての公職者をいつでも召喚することができた。

 選挙よりも民会で、世のため、人のために役立つことをうまく話す説得術が重んじられた。

 アテナイの民主主義政体は、「文(ロゴス)」の政治、言葉と理性の力で人を動かすことにある。その基本は、だれもが対等、平等に、公の場で話し、説得することなのだ。古代アテナイ人は、おしゃべり好き、耳学問に優れ、演劇祭や民会、裁判の陪審員、行政委員会などに、全市民がくじを引いて回り持ちで参加するのだから、彼らの一日は結構忙しく、演劇祭と民会の場に切れ目がなかった。

 古代アテナイ人は、船や寺院を建てる際には必ずその道の専門家を呼び意見を聞いたらしい。もしその時、非専門家が口を出したら市民は猛烈なブーイングで黙らせたというほどだ。しかし都市の一般的な政治問題を論じるときは、市民は誰であっても自由に発言できたし、人々はその言葉を注意深く聞いた。選挙で選ばれた者がまともでなくなったら市民によっていつだって召喚された。

 では現代の政治はどうか。

 「大きな人間」が無茶をすることがある。そのとき、「小さな人間」が自分たちの小さな力を信じて反対し、やり直しさせる。それが「小さな人間」のやることだ。それがデモクラシーだ。「大きな人間」がいくら戦争を起こそうとしても、「小さな人間」が動かない限り戦争はできない。「正義のための戦争」「平和のための戦争」なんてまったくおかしい。

 「小さな人間」の存在価値は、戦争に反対する力を発揮することにある。

 

 小田実の人生は、この対話の精神の実行だった。