アイヌ神謡集の伝えるもの

 

かなり以前、朝日新聞に「ニッポン人脈記」という連載があり、「ここにアイヌ」という記事があった。ぼくはそれを切り抜きして残していた。偶然その切り抜きが出てきたので、ここにあらまし記しておこう。

 

「悠久の時をこの国に刻み、アイヌの人々は独時の文化、言葉をつむいできた。アイヌの今を訪ね、そこに吹く新しい風を伝えたい。」

第一回の記事は、「アイヌレブレズ」という、アイヌの伝統舞踊をアイヌ語で歌い踊るグループを紹介していた。

その第四回の記事は「アイヌ神謡集」にまつわる話だった。

「動植物から、火、水、生活用具まで、アイヌは自分たちを取り巻くすべてのものに、カムイ(神)が宿ると信じた。カムイユカラ(神謡)は、アイヌの少女、知里幸恵が、祖母から聞いた13編をローマ字で表し、日本語の訳をつけた。

貧しい子どもに捕らえられたフクロウの神が、その家の老夫婦の敬いに接し、彼らを潤す話から始まる。

少女の知里にユカラを書くように勧めたのは、アイヌ語の研究者、金田一京助だった。金田一は、ユカラをギリシア、ローマの叙事詩に匹敵するとたたえた。その幸恵は19歳で生涯を閉じた。

『私のため、私の同族・祖先のため、日本の国のため、世界万国のため‥‥、なんという大きな仕事なのだろう』と、知里は亡くなる前に日記に書いていた。

アイヌ神謡集は、津島佑子によってフランス語に訳された。そして世界の文学者の集うシンポジウムで紹介された。ノーベル文学賞が決まったフランスのル・クレジオがそれを聴き、津島に、アイヌ口承文芸をフランスに紹介してほしいと頼んだ。

クレジオと津島は日本のシンポジウムで、『アイヌ神謡集には、日本人とアイヌ民族との和解の希望が感じられる』と語った。それを詩人の港敦子が聞いた。

『ユカラを韓国語に訳したら、言葉の響きはどんな風に伝わるんだろう』。

アイヌ神謡集の韓国語訳は、韓国の文芸誌に掲載された。

その神謡集の序文に知里は、日本語の序文を書いていた。

『その昔、この広い北海道は私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児のように、美しい大自然に抱擁されて、のんびりと楽しく生活していた彼らは、真に自由の寵児、なんという幸福な人たちであったことでしょう。』

この序文を、知里の姪、木原仁美がアイヌ語に訳した。木原は子どものころ、寝床で母の語るアイヌ神謡を子守唄のように聞いていた。

木原は、序文の『自然』に当たるアイヌ語が見つからなかった。アイヌの自由の天地、先祖を抱擁した大自然、木原はそれをカムイと訳した。」

 

ぼくは、この新聞の切り抜きを読んで、あらためて感動した。

今の世界は何ほども進歩していない。人間、いや国家というものは、ますます退化しているのではないか。