ポール・クローデル

 新聞に二面に渡るドデカイ広告が出ていて、その右一ページが二人の老人のほぼ全身。
二人は肩を抱いている。いったい誰かいな。広告主は出版社だった。
 左のページにこんなことが書いてある。


 「世界は、日本を待っている。
 『私がどうしても滅びてほしくない民族があります。それは日本人です』。
 1921年から27年にかけて、駐日フランス大使を務め、劇作家、詩人でもあったポール・クローデルは、先の大戦時、戦火のパリでそう語ったという。
 四方を海に囲まれた東方の島国、ニッポン。
 自然を崇拝し、自然と調和しながら独自の文化を築き上げた国、ニッポン。
 幕末期1867年のパリ万国博覧会に出品された日本の美術工芸品は、ジャポニズムと呼ばれ、瞬く間に西欧を魅了した。
 モネ、ルノアールゴッホらの印象派絵画をはじめ、プルーストの小説『失われた時を求めて』にまでその影響は及んでいる。
 アール・ヌーヴォーを開花させ、アール・デコに学んで磨かれた先人の巧みと産業芸術は、現代クールジャパンの源流である。
 誠実、勤勉、礼節、友愛を尊び、異文化を取り入れて、新しい文化を生みだす技術と感性。一筋の皺にも美と喜びを見出す繊細さ。
 細部に命を宿らすモノづくりへのこだわりは、世界に誇れる無形文化だと言えよう。
 しかし昨今、その誇りを自ら傷つけ、萎縮してしまってはいないだろうか。」


 なるほど日本人へのメッセージだな。その後に、写真の人物からのメッセージも小さく書かれている。
 その人物は、なんとフランスの俳優、アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドではないか。
 映画で日本人を魅了してきたアラン・ドロンはすっかり老けて、今は82歳になっている。ベルモンドは84歳だ。どちらも白髪。
 この文章に登場したクローデル、「駐日フランス大使を務め、劇作家、詩人でもあった駐日フランス大使を務め、劇作家、詩人でもあったポール・クローデル」。
 おう、中野重治の詩にあったクローデルではないか。
 本棚から詩集を出してきた。



    ポール・クローデル

 ポール・クローデルは詩人であった
 ポール・クローデルは大使であった
 そしてフランスはルールを占領した
 
 フランスの百姓は貯金した 
 それを金持ちが取り上げた
 そして金持ちはマリアを拝んだ
 そしてポール・クローデルはマリアを拝んだ
 そしてポール・クローデルは駐日フランス大使になった 
 そしてポール・クローデルは詩を書いた

 ポール・クローデルは詩を書いた
 ポール・クローデルはお濠(ほり)をまわった
 ポール・クローデルは三味線を弾いた
 ポール・クローデルはカブキを踊った
 ポール・クローデルは外交した
 おゝ そして
 ついにある日
 ポール・クローデル
 シャルル・ルイ・フイリップを追悼した
 おゝ 偉大なポール
 大使で詩人であるクローデル
 「われらの小さなフイリップ」が
 彼の貧しい墓の下でいうだろう
 「ポール・クローデルは大使になった」



 1921年から27年にかけて、駐日フランス大使を務め、劇作家、詩人でもあったポール・クローデルは、先の大戦時、戦火のパリで、『私がどうしても滅びてほしくない民族があります。それは日本人です』と語った。
 1918年に第一次世界大戦は終わり、ドイツは敗北、フランスは勝利した。ドイツの重要工業地区ルール地方は、ドイツが賠償を支払わないことを口実にして、1923から25年までフランスが占領した。ちょうどクローデルが日本にいたときだった。ナチスの指導者、ヒトラーが台頭するのは1921年、そして第二次世界大戦への道を進んでいく。
 シャルル・ルイ・フイリップは、1830から48年まで在位したフランス最後の王だった。自由主義貴族フィリップ平等公の子であり、フランス革命にも加わった。王位についたときは民主的な政治を行なったが、次第に右傾化し二月革命で王位を追われ、イギリスに亡命した。