朝夕のウォーキングで出会う柴犬のワンちゃん、名はカイト。
「カイト―、カイト―」
ぼくは、カイトの体をなでまくる。
カイトを連れたおばさん、
「私にはひ孫がいるんよ。二歳なんよ」
「え? ほんとう?」
考えてみれば、おばさんが23歳の時に女の子を生んだとする。その女の子が成長して23歳の時に女の子を生み、その孫が育って23歳になって子どもを生んだ。子、孫、ひ孫、三代。そうするとおばさんは69歳。
そのひ孫 が今2歳だというから、おばさんは71歳か。なるほど、なっとく。
子ども、孫、ひ孫のいる暮らし、にぎやかで、いいねえ。
「旦那はカイトを散歩に連れて行かないの?」
「見向きもしないよ、カイトには」
「へえ、かわいいカイトと暮らしていて、カイトをかわいがらないのお?」
「犬を飼えと言ったのは、旦那なのにね」
やっぱり昔タイプの人は、犬は番犬と思っているからなあ。家族と思っていないからなあ。日本はそういう文化が遅れている。
ドイツやオーストリア、スペインで見た犬の散歩の光景を思い出す。ケーブルカーや電車、レストランにも大型犬を連れて乗ってくる。他の犬に出会っても、ケンカにならない。おとなしく飼い主の横に寄り添っている。中国青島では、床屋の前にいつも後ろ足が片方動かない犬が寝そべっていて、ときどきフッと思い出したように散歩に出かけて、ピョコピョコ街の中を歩いて帰ってきた。
二回目のフキノトウをかあちゃんと採りに行った。毎年芽を出すところがあり、たくさん採れた。ランが生きていた時は、いつも一緒だったのになあ。
私は、昨日も今日も平和な暮らし。
ウクライナにも春が訪れているだろう。
爆撃にさらされているウクライナの春、平和なときには広大な緑野に歓喜の歌が流れていたものを。