ウクライナ人

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 僕の中学生時代は、戦後の教員不足で、社会科、英語、理科、音楽、体育の先生がいなかった。

 僕の担任の滝野カツ先生はドラムカンというあだ名を生徒から付けられた、体格のいいお母さん先生だった。滝野先生は家庭科の先生だったが、時々ピンチヒッターで、音楽、社会の授業をした。ある日、こんな話をしてくれた。

 「あのなあ、ウクライナはなあ、農業が盛んな国で、気候も温暖なんや。ほんで黒土地帯が広うてな、小麦、トウモロコシなどを作り、畜産も盛んなんや。ロシアやウクライナにはコサック人も住んでいる。自由な人という民族や。国家の抑圧や搾取を拒否した人たちや。ロシアの農民戦争の指導者、ステンカラージンもコサックや。」

 そしてロシア民謡をレコードで聴かせてくれた。

 

 今朝、 寺島実郎の文章を読んだ。

 「まずウクライナと日本の縁です。近代日本が向き合ってきた極東ロシアに住むロシア人のほぼ半数はウクライナ系です。それは3回にわたって集団移住させられたからです。19世紀にロマノフ王朝のアジアへの野望でウラジオストックの建設が始まり、6万人の農業移民が送り込まれたのが最初です。

 2回目は1917年のロシア革命で革命に対抗したウクライナ人がシベリア送りになった。

 3回目は第2次大戦で、ヒトラーと連携して独立を試みた勢力が、スターリンによってシベリア送りになった。その中には日本にやって来た人も多く、横綱大鵬の父親もウクライナ人です。」