僕が退院した翌日、小学三年生のウイちゃんは、お父さんと一緒に燕岳に登って燕山荘に泊まり、元気に下りてきた。
「じいじ、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。元気だよ。」
夜、退院パーティをやってくれた。ぼくは「モミの木」の歌を歌い、ウイちゃんはそれを覚えて歌った。
息子や孫は、これから山に登るだろう。ぼくはもう、山には登れない。
「ピッケル、持って帰るかい。」
ぼくは山の魂の象徴、ピッケルやアイゼン、山の本を息子に贈ることにした。ピッケルは、モンブランの麓、シャモ二―の鍛冶屋、シモンのうったもの。
大正から昭和の初期にかけて、浦松佐美太郎は、スイスアルプスの登攀に熱中していた。彼の名著「たった一人の山」を本棚から出してきて、ドイツの学生歌を聞きながら、しんみり心に湧く思いを味わっている。その本に、ピッケルについて書いてあるページがある。
「山の道具の中で、ピッケルほど形のいいものはない。穂先へ走る鋭い直線、刃をつくる三角の線、この両者をつなぐ気持ちのいい曲線、頭から石突きへと、せばまるように流れている柄のまるみ、いくら見ていても飽きない。アルプスの谷深く、百年もの年月をかけて、つくり上げられたピッケルは、山の道具として、もう完成されているのではあるまいか。
なんの飾りけもなければ、気取ったところもない道具だけに、使えば使うほど味が出てきて、持つ人に限りない愛着を抱かせる。
村の牧場に立てば、氷河がすぐそこに顔を出している。そんな山奥の鍛冶屋で、とんてんかんと鉄床の上で鍛え上げたピッケルを、私はほしいものと思っていた。山で使うものは山のものの方が味がある。光で照らせば、氷河の色が穂先に浮かび出るように覚えるだけでもうれしい。」