C・W・ニコルの話

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 故C・W・ニコルさんが、「1500人の英国水兵を救った日本海軍の軍人」という文章を書いている。(「誇り高き日本人でいたい」出版社アートデイス)

 

 1942年3月、ジャワ海において、日本海軍は英国海軍の巡洋艦駆逐艦を撃沈した。海に投げ出された1500余名の英国水兵・将校が、日本の二隻の駆逐艦に救助された。日本の二隻の駆逐艦の甲板は救助された英国兵であふれんばかりになった。

 「船上で捕虜の身となった英国兵を待っていたのは、思いもかけない友好的待遇だった。日本の水兵は、捕虜たちの体から重油を洗い流し、なけなしの食料から、茶、堅パン、みそ汁、タバコを分け与えた。」

 ニコルさんは、日本に住んで、その時の日本の駆逐艦の乗組員兼平氏に会いに行って話を聞いた。

 「氏の話によれば、日英両国の水兵たちは冗談をまじえて談笑し、互いの家族写真を見せ合い、自由に語り、海の男同士、互いの勇気を讃えあった。日本人の水兵は、甲板上の英国人捕虜のために日よけのテントを張ったという。」

 「実はこの種のことは、日本のみならず、英国、ドイツ、アメリカなど万国共通の海軍の伝統なのだ。

 その後、太平洋戦争の戦闘はしだいに度を越した残虐性を帯び、過熱化の一途をたどった。その急先鋒が日本陸軍であった。船上から、日本軍の捕虜収容所に移送された英国人水兵は、非人道的な扱いによって、二年余の収容所生活で、半数以上が栄養失調、病気、拷問、理不尽な処刑によって命を失った。話がこの点に及ぶと、兼平氏は怒りに顔を曇らせて言った。

 『陸軍の愚かな山ザルめ。許しがたい行為だ。』

 兼平先生のご自宅で手厚いもてなしを受けた。私の父も英国海軍の軍人で、兼平先生と同じ時期従軍していた。父は冷たい海を八時間漂流し、負傷した仲間の頭が沈まないように面倒を見ていた。」

 「もし日本陸軍が、中国に侵攻し、残忍な大虐殺や非人道的な行為をしなかったら、日本はその後どう変わっていただろうか。‥‥太平洋戦争が起こらず、したがって敗戦もなかったら、どうなっていただろう。」

 

 ニコルさんは、日本に住み、日本を愛し、日本人になった。

 そして愛する日本のいくつもの断面を見る。

 人間の気高さ、人間の非情さ、人間の罪深さ‥‥‥。

 

 

 

 「