イタリア・ボローニャ、新たな認識

 

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 今朝の朝日新聞の「多事奏論」に、論説委員の郷富佐子さんがこんなことを書いていた。

 「私はイタリア北部の村にある全寮制の高校を卒業した。200人足らずの小さな学校で、生徒も教師も家族のようだった。

 イタリアでは、ハグ、キス(左ほお、右ほお)があいさつのセットだ。在学当時、友人たちの実家はどこも祖父母と両親の三世代が同居しており、日曜朝はみんなで一緒に教会へ行った。朝の教室で、街の教会で、ハグとキスは日常だった。

 明日は、キリスト教で最も重要な復活祭だ。でも、人々は教会のミサへも行けず、自宅にこもっている。感染の苦しさはもちろん、一か月以上に及ぶ外出制限で精神的な限界にある。」

 「広場」はイタリア人にとって、生活の中心に位置する。どんな小さな村にもある。人々は広場を抜けて散歩し、広場に面した喫茶店でコーヒーを飲んで語らう。いまそれができない。

 日本のメディアの報道は、世界の感染者、死者の数は伝える。イタリアが苦しんでいる。しかしその実態は報道されない。

 イタリアでは、広場は政治とも切り離せない。今年の二月下旬までは、全国の広場は市民運動の舞台になっていた。移民排斥や自国第一主義の拡大を止めようと、昨秋から北部のボローニャの若者たちが始めた『イワシ運動』だ。イワシ一匹では非力だが、団結すれば大きなうねりになる。広場へ行こう。みんなでイワシの絵を掲げ、各地の広場はイワシの大群で埋め尽くされた。ローマの広場には10万人が集まった。

 そこへコロナウイルスが入った。イタリアの人と人との接触が感染を増やした。

 厳しい外出制限、それでも国民の7割超がコンテ首相を支持するのは、すべての情報の透明性、情報の共有を約束して実行する首相の言葉を信じるからだ。」

 郷さんの伝える記事。

 この記事を読んで、新たな認識をもってイタリアの国と人々が心に深く沈みこんできた。

 それは昨日観た、長時間のドキュメンタリー録画の感動に続く。

   NHKの「プレミアム カフェ」、2004年の映像。

 今は亡き井上ひさしが、彼のあこがれていたボローニャを初めて訪ねたときの二時間に及ぶ記録。

 ボローニャという一つの街の住民とボローニャ大学の学生たち、彼らは実に生き生きと活動し、連帯し、歴史を尊重しながら現代を創造する。学生と住民たちは、かの大戦中、ナチスにも抵抗し戦った。ローマ時代からの歴史、美しい街、高い自治意識と文化、至る所に広場があり、人々は集い、三十万の人口に八十の図書館がある。住民は街を愛し、歴史と文化を活かし守り、未来へ生きる。

 「未来が見えにくくなったら、過去に学んで、古いものを見直す。古いものを捨てないで、現代に活かす。」これがボローニャ方式。

 街づくりにボローニャ方式が生きていることに井上ひさしは深く感銘を受けていた。

 井上ひさしはもういない。

 ボローニャへ行きたい。