ベルリンのもったいない精神

 

f:id:michimasa1937:20181016025842j:plain


 小川糸が「針と糸」というエッセイ集を出している。そのなかに、「ベルリンのもったいない精神」という短編がある。

 

 「ベルリンでは、まだ使えるものをゴミとして処分することはありえない。自分にとっては不要になったものでも、誰か他の人にとっては使えるものかもしれないので、そういうものが出たときは、家の前に置いておくと、たいてい目にした誰かが家に持ち帰っていく。私も、あまりに重くて使えないフライパンなどを路上に置いてみたのだが、どれも数時間のうちになくなっていた。このシステムは、自分にとっても相手にとっても本当に便利で楽である。

 日本だと、自分が不要になったものは、お金を払って引き取りにきてもらうシステムだが、東京のマンションを見ていても、まだまだ使えそうなものがゴミとして出されていて、もったいなあと感じる。ベルリンのシステムが日本にも広まれば、ゴミの量を随分減らせるだろうと思うけれど、それはやっぱり難しいのかもしれない。ベルリンでは、高いお金を払って新しいものを買わなくても、いただきものや拾ったもので十分やりくりすることが可能だ。再利用の仕方も独特で、自分の見立てやアイデアで、本来の使い方以外の使い方を上手にやっている。通りがかったカフェでは、小ぶりの古いバスタブに土を入れて、花壇にしていた。思わずくすっと笑ってしまう面白い使い方を見かける。

 大戦末期、ベルリンではひどい地上戦が繰り広げられた。町は廃墟と化し、瓦礫の山に覆われた。戦地に赴いていた男性に代わり、女性たちが瓦礫の山からまだ使えるものを拾い集めて、町の復興に尽力したという。ベルリンのもったいない精神はそんな過去に由来しているのかもしれない。」

 

 これを読んで、使い捨て文明が経済発展につながると錯覚している日本では、ここまで徹底して意識を共有できないのかもしれないと思う。もう要らなくなって、家に眠っているものを必要な人に再利用してもらう活動を起こそうと、六年ほど前居住区で呼びかけをしてみたが、私の呼びかけが不徹底だったために、失敗した。全国的に見ればそういう実践を工夫してやっているところがあると思う。