ヘッセの手紙

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 ヘッセの、1933年、アルトゥール・シュトルへの手紙。

 

 「以前はヒトラーをあざ笑っていた教養あるドイツ人も、今はヒトラーの言うことを真に受けています。‥‥

 態度を決めて、ヒトラーの反対派に公に加われと言うが、私は拒否する。私はいかなる党派にも属さない。共産主義ファシズムより共鳴はするが、それでも私はそれに与することはしない。そもそもどんな形の権力追求にも従わない。

 詩人や精神にたずさわる者の使命は、平和を促すことであって、戦いではないのです。」

 

 1936年、オットー・バースラーへの手紙。

 

 「私はドイツのジャーナリズムによって、売国奴などというレッテルを貼られています。このことは、当局に対して私の作品を発禁処分にしてしまえという合図なのです。

 ‥‥私の出版社をなにがなんでもつぶしてしまえという亡命者新聞の側は、ナチス式のあらゆる手段を使っているのです。

 私がこれまで逃げ込んでいたドイツ文学のための活動も、頓挫してしまいました。ドイツ文学も、もはや長くはもたないでしょう。」

 

 1945年7月、ヨハンナ・アッテンホーファーへの手紙。

 

 「私はあまりにひどい打撃を受けました。数年前から私の全作品は壊滅状態です。戦争が終わればドイツの読者と日々の糧が得られるだろうと希望を抱いていました。しかし、ドイツの破産は私の破産でもあるのです。

‥‥ものごとをナショナリズムの観点から見るやいなや、自分自身を国家と同一視するやいなや、世界は確かにすっきり単純化されますが、正しく見えてくるわけではありません。

‥‥ヒトラーによって私の全作品が灰燼に帰したこと、妻の親族や友人たちがヒムラーの収容所で、毒ガスで殺されたこと、それらは戦争の悲惨に鍛えられた人たちにとっては、語るに値しないことなのです。

 国境の向こう側に横たわっているものとの間には、冷淡、理解の欠如、理解しようとする意志の欠如という深淵がばっくり口を開けているのです。」