歴史認識の欠落

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「日本社会の歴史」を著した網野善彦が、こんなことを書いていた。

 

 「五世紀後半、大王に率いられた近畿の首長連合は、各地域の首長とその率いる集団との間に、なお祭祀的、呪術的な要素を残した貢(みつぎ)・贈与を媒介とするゆるやかな支配服従関係を保ち、その服属した集団は、大王に奉仕するトモと呼ばれていた。そして近畿を中心に、みずからの率いる集団や朝鮮半島からの移住民の労働力や技術、さらに現地の首長の力によって動員された人々の力などによって、大規模な水田の開発を進め、また狩猟場などを設定し、これを大王の直轄地とし、服属させた他の地域にもこれを及ぼすとともに、近畿とその周辺の海民・山民・鵜飼などの集団を従え、大王に対する贄(にえ)をみつがせた。海民や鵜飼は、海上・河川交通の担い手として、また大王の直属の軍事力として重要な役割を果たしたと考えられている。

 さらに大王は、家政に必要な物資や労役を、近畿の中小首長に頁納・奉仕させ、鞍作(くらつくり)、陶作(すえつくり)、錦織(にしごり)、鍛冶などの技術をもつ朝鮮半島からの移住民の職能集団を組織し、これをその職能民の首長に統括させ、首長連合に奉仕させたのである。」

 

 日本の歴史を学校で学ぶという営みは、謎を引き出し、謎を考えることから始まるのだが、多くの授業はコトガラの羅列とコトガラの説明に過ぎない。そしてテストは暗記したものを調べる、それがこれまでの実態だろう。上の短い文章からでも、たくさんの???が湧いてくる。それを考える授業ができて、歴史認識が深まる。

 芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、企画展が中止になった。このいきさつを知ると、日本はどうしようもない無知・無思想・無感の蔓延におちいっているのではないかと暗澹とした思いになる。