予兆

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周囲に広がる農地は、補助整備の終わったところだが、ところどころ何も植えていない、草ぼうぼうの畑もある。

 今朝、何も植えず、水だけ張った一枚の田んぼを見た。水を張るということは草の繁茂を防ぐためでもある。草を抑えるにしても、水が浅いから、細い葉がすっと伸びる草が水面から10センチほど上に伸びている。それでも草の量は、放置された農地に比べて圧倒的に少ない。水面を見ると、動くものがある。あめんぼ?

 やはりアメンボだ。ぼくの少年時代、水田や池はアメンボの楽園だった。今は、もうどこにもアメンボの姿はなかった。おうおう、なつかしい。

 農薬を使わなかったころ、水田や池には、無数の水生昆虫がいた。アメンボ、ゲンゴロウ、ミズスマシ、ミズカマキリタガメ、ヤゴ、トビケラ、‥‥

 夏休み、子どもたちは池を遊び場にしていた。水泳もして遊ぶ子どもたちが、「ゆうびんや」と呼んでいる虫がいた。ほんとの名前は知らない。1センチたらずの虫だが、水面をふわふわと歩く。その様子から郵便配達に例えた誰かがいて、子どもの中で「ゆうびんや」が名前になっていた。

 水田のまわりや、野道には、バッタ類が飛び跳ねていた。トカゲが走っていた。ヘビがカエルをねらっていた。だが今、それらの生き物の姿はもう見られない。最近めずらしく、ケラを発見。

 

 道端の1枚の農地を、新興住宅の5軒の人たちが分割して借りているところがある。1軒が借りているのは1枚50坪ぐらいかな。そこにトマトやキウリ、ジャガイモなどを栽培している。その1枚を耕していた高齢者のKさんは、一本の草もはやさないほど、しょっちゅう畑に来ていたが、このごろ草がぼうぼうと生えていて、姿が見えない。どうしたのだろう。もう体が弱って、耕せなくなっているのだろうか。

 野を歩くだけで、何かを感じ、何かの予兆を知る。

 公民館の前で、小学生の朝のラジオ体操が、今日から始まった。20人ほどの子どもたちが集まってきた。