風景

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 フランスの作家、プルーストは、「失われた時を求めて」という大作を書いた。母の死が転機になって構想された小説で、9歳から苦しめられた喘息の病を押して死の数日前まで執筆をつづけた。

 この小説の描写は実に詳細を極め、文章から匂い立つものがある。こういう描写がある。

 「サン・チレールの鐘塔、まだコンブレの街が見え始めぬ地平線に、あの忘れがたい姿を刻み付けている鐘塔は、ずっと遠くからそれとわかるのだった。復活祭の週に、パリから私たちを運んでゆく列車の窓から、この鐘塔がその頂の小さな銀の鶏をくるくる回しながら、空にたなびく雲の畝(うね)をつぎつぎに滑ってゆくのを見かけると、父は私たちに言うのだった。

「さあ、ひざかけを、おしまい。着いたよ。」

また、コンブレで私たちのやったいっとう長い散歩の、あるとき、ふと狭い道がにわかに豁然(かつぜん)と広い砂丘に向かって開けた所があった。そうしてその砂丘は、はるかの地平線に散在した森によって限られており、その森の上には、ただサン・チレールの鐘塔の細い切っ先が突き出ているのだが、それは非常に細く、鮮やかなバラ色を帯びていたので、自然の景物だけしかないこの風景、この画面へ、技巧の小さな跡、たった一つの人間的なしるしを与えようとしているかと思われる爪で、空に一筋ひかれた条(すじ)かと見えた。しかしだんだん近寄って行って、鐘塔のかたわら低くに今もなお立っているなかば壊れた方塔の名残りを目にしたとき、私たちはその石組みの赤みをおびた暗い色調に、なによりも驚かされたのだ。そうして、またそれは秋の霧の朝には、ブドウ畑のざわめくスミレ色の上にそびえたつ、マルバノホロシの色さながらの、ほとんど茜色の廃墟ともいえるのであった。家路をたどる道すがら、広場で、祖母はときどき私を立ち止まらせて、この鐘塔を見せるのであった。二つずつ並んで上下に取り付けられた塔の窓、人間の顔の場合でもなければ美しさや品位をそえないような、あの精確で一風変わったつり合いで隔てられている窓から、塔はきっかり間をおいて、カラスの群れを自由に飛び回らせていた。」

 こういう文章に触れると、ヨーロッパの街の風景は、歴史、文化をつくってきた住民の意識、感情、感覚の産物であることを感じる。そして日ごろ接している自分の生活環境への視線を意識する。プルーストは51歳で亡なくなった。