「令和」という元号になった

 

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 平成につぐ新元号は「令和」になった。万葉集巻五の「梅花の歌三十二首と序」の文章から採ったという。そこで万葉集を出してきて、その部分を見た。梅の花の歌がずらずらと載っているページ、ぼくはそこに鉛筆で印を入れていた。それは、以前万葉集を読んでいったとき、あの時代の人が、梅の花を愛でて、みんなで酒を酌み交わして団欒し、歌を詠むという、平和な生活文化に感銘を受けたからだった。

  天平二年正月十三日、大伴旅人は人々を呼んで宴会を開いた。

 「令和」が採られた文は、 「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉……」の部分、万葉仮名で始まるその部分を、ぼくの持っている「万葉集」では土屋文明が現代語訳している。 

 「春の初めのよい月で、空気が澄み、風が和らぎ、梅は鏡の前の美人のよそおいのように開き、蘭は君子の装いのように開いている。そのうえ、明け方の山には、雲が動き、松には苔がついて、きぬがさを傾けたようで、夕方の谷の山には霧がかかり、鳥は網に包まれたように林に飛んでいる。庭には新しく生まれた蝶が舞い、空には去年の雁が帰っていく。……」

 今朝の新聞では、中西進の現代語訳が載っていた。

 「時あたかも新春のよき月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の、鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香のごとき香りを漂わせている。

 

「令月」の意味は「万事をなすによい月、めでたい月」「陰暦2月の異称」。

「令」という文字の意味には、「人々が従う」という意味と、「よい」という意味とがある。

 今朝の新聞を読めば、いろんな学者や識者が、意見を出していた。意見の中には、決め方の問題、特異な歴史、元号の政治化の問題などが語られていた。

 今朝の家内との会話。

 「歴史的には皇室と切り離されないけれど、国民が生活の中で使うものなんだから、国民から広く募集して、決定段階で学者や文化人や、いろんな人が関わって、決めていくということができないんかねえ。」

 「もっとオープンにすべきよ。皇室行事じゃないでしょ。町では、このときとばかり、商売繁盛に利用しているよ。」

 新聞の座談会で国文学者の辰巳正明が、こんなことを言っている。

 「朝鮮の古代王朝・百済が七世紀半ばに滅びて、日本に知識人が逃げてきた。彼らが近江朝という天智天皇の時代に、知識を日本人に授けていく。百済は中国から独立した国を目指して滅んだが、日本のなかでそれを実現していこうとして、中国とは別の元号を日本は使うという流れを作ったのではないか。」

 このわずかな文の奥には、膨大な歴史がある。唐の朝鮮への侵攻、高句麗新羅百済、唐と倭国との関係、百済滅亡と、百済の難民が大挙して倭国にやってきたこと、倭国も朝鮮に軍を出して、唐の軍と戦い、敗れたこと。百済を通じて大陸の文化が大量に日本に入ってきたこと。

 元号という制度の奥に潜むものがある。過去の歴史を探求していくと、現代、未来の在り方が、見えてくるように思う。