イスラム国と日本


湯川さんは命を奪われたらしい。後藤さんの命は風前の灯にある。
救いたい、助かってほしい。
「テロ行為には屈しない。断固として戦う。全力を挙げて救出する」
その声の空虚さ。


めぐりきたれる歴史の糸はもつれ、
解決の糸口は泥沼。
歴史の歯車は国家の武力によってまわされてきた。
街は破壊され、市民は虫けらのように殺された。
恨みの種のまかれた荒野に、報復が芽を出し、
今も殺戮が行われている。


50年前、ぼくは仲間と中東を旅した。
ほとんどの日本人がそうであるように、ぼくもムスリムの歴史に無知だった。
トルコの砂漠地帯を行くと真っ白な湖が地平線に現れ、水のない塩の湖。
またも行けば、シリアの乾いた大地に人工湖を見た。打ち寄せる波に、未来の希望を垣間見た思いがした。
ダマスカス、アンマン、バクダッド、テヘラン、どこものんびりしていた。なおのこと地方は平和だった。
だが、イスラエルとその周辺国には火種がくすぶっていた。
平和な街、朝早くからコーランの声が拡声器にのって響いていた。
ぼくは頭に民族衣装の白い布をかぶり、
編まれた黒いわっかをその上に載せ、
8月の日差しの下を歩く。
ムスリムの青年たちが笑顔で駆けより、握手を求めてきた。
砂漠を横断して、緑の帯ユーフラテス川のほとりに至れば、
ナツメヤシの林があり、
炎暑を防ぐ丈の長い服を着た子どもたちは、
20メートル近くもある高い木に登って実をとっていた。
村の女性がじゅうたんを織る。
バザールには大きなスイカが積まれ、羊の肉を焼く香ばしい匂い。
ぼくは一足の手造りの靴を買った。
それはすりへったタイヤを足形に切って羊の皮が縫いつけられたリサイクルの靴だった。
イスファファン近くの砂漠のなかで野営する。
どこからか現れた車、土の家に住んでいる人たち、ぼくたちを村に案内してくれた。
赤いじゅうたんを敷いた土の部屋、いただいたチャイは甘い。
「ここは、マイ カントリー」
じゅうたんの上に座った村の長が言った。
そうなのだ、ここは彼らの国なのだ、ぼくは合点した。
砂漠の砂の、5坪ほどに小石を並べた四角な枠がある。
メッカに向かっての朝夕の礼拝は、その枠のなかにひざまづいて行われた。
敬虔なイスラム教徒たち。


あれから半世紀が過ぎ、
あの時の平和はどこかへ行ってしまった。
憎しみと報復の連鎖がつづく原因が、歴史の過程でつくられた。
欧米列強の行ってきた歴史、ムスリムがたどってきた歴史、
戦争の歴史、侵略の歴史。
歴史の糸をほぐしていく。


歴史認識の対話をつくれるだろうか。
平和への糸口が見つけられるだろうか。