オーストリアの原発 その教訓

 もしオーストリア原発が出来て、事故を起こしたらどういうことになるだろうか。イン川のほとりで、山々や街を眺めながら想像した。雪をいただく美しい山も、おいしい湧き水を街に提供してくれる谷も、人が絶えてしまう。花を飾る谷間の村も消えてしまう。牛たちの出してくれるおいしい牛乳もバターもチーズも滅びてしまう。谷を越えて放射能は近隣の国々に流れていく。恐ろしい事態が起こるだろう。
 幸いなことに、この国は、美しい輝かしい未来の保障へ、世界の先頭に立って舵を切った。 

「世界」(岩波書店 4月号)に掲載された「オーストリア原子力への『ノー』 なぜ脱原発が可能だったのか」の記事に、二人の筆者はいくつかの教訓を述べている。
 まず労働組合、こういう大きな組織は、組織として脱原発を方針にすえることはなかなか難しい。彼らはむしろ原発賛成に動いた。政府の側に立ったのだった。力学で動く政党も頑固な組織だ。体制側に立つ組織は権力構造が強い。
 国民投票原発を止めさせようと考える人々は大きな組織を変えることはできなくても、その熱意と献身はゆるがなかった。一つひとつのいろんな会合で議論し、パンフレットを一枚一枚配った。成功できるかどうか展望がかんばしくなくても庶民の中で活動を積み上げて行った。
 「闘うことが必須であり、やって効果のないものはない」、これを彼らは学んだ。
 彼らは得た教訓をこう述べている。

 「国民投票では数千票が決め手となって原子力発電への反対が決まったことは、どの活動も必要不可欠であったことを十二分に証明した。
 おそらく最も重要な洞察は、電力会社、大きな政党、労働組合といった力のある組織は教訓を学ぶという点では最後になる、ということだ。 国民がこういった組織に変化を課すことが必要であり、それはたやすい仕事ではない。
 長期的には、ゆっくりで手間がかかるものの、個人間のコミュニケーションが効果的である。『暮らしやすい世界の、原子力のない将来』というわれわれの希望を、現実のものとしたいのなら、情報や国民のモチベーションに代わるものはない。
 個人間のコミュニケーションは、加速度的に増殖するプロセスである。最初はほとんど効果が見えないが、国民のなかでの意識が臨界点に達すると、突如として考え方の変化が起こる。
 大きな社会よりは小さな社会のほうが、このプロセスに要する時間が少なくてすむため、小さな国々は有利である。」

 小さな国、オーストリアが成し遂げた脱原発。それは庶民の口コミの力だった。会う人会う人に、自分の考え、未来への希望を語っていった。それが巨岩を動かした。臨界点という言葉から、幸島の「百番目のサル」をぼくは思い出す。
 宮崎県沖200メートルほど離れたところに、幸島(こうじま)と呼ばれる小さな島がある。
 1948年に京都大学の研究グループがこの島のニホンザルの観察を開始した。52年にはサツマイモの餌付けをした。翌53年、1歳半のメス猿が、どの猿も行わなかった「砂のついたサツマイモを水で洗う」という行動を始めた。
 この行動は少しずつ群れの中へ伝わり、ある日、幸島でサツマイモを洗うニホンザルの数が臨界点を超えると、それまで少しずつ広まっていった芋洗い行動が、幸島の群れ全体に一瞬で広まった。これが100番目のサルと呼ばれる現象だった。100番目というのは、実際の数ではなく、ある臨界点を象徴的にさしている。

 日本はいま、政治の力が大きく働き、国が変わろうとしている。
 安倍政権の思惑通りの方に臨界点「100番目のサル」がやってきて、日本は徴兵制も導入し戦争できる国家体制になっていくか、それとも原子力を脱し、平和憲法を誇り高く掲げて世界で活躍する臨界点をもたらすか。

 オーストリアの隣、スイスの場合、
 福島第一原発事故の被害の大きさに動かされた2人の人が住民発議を思いつき、スイス・ベルン州のミューレベルク原発即時稼動停止を求める住民発議(イニシアチブ)を起こした。ベルン州民の署名1万5千筆を集めて州民投票は成立した。だが63.3%の反対でそれは否決された。 否決の結果、世界で最も古い原発の一つに数えられる同原発は即時稼動停止はできないが、電力会社は2019年に停止することを発表した。
 スイス政府は「段階的脱原発」を宣言する。連邦議会の支持を得て、脱原発を具体的に進めるエネルギー基本方針「エネルギー戦略2050」の第1案を発表。戦略では、太陽光発電を推進し、2050年には太陽光発電で現在の原発の発電量(39%)を賄う。再生可能エネルギー拡大と同時に節電、さらに温暖化ガスを抑えるための燃料消費削減の両方を目標にする。
 かくしてスイスも動き出している。
 日本は以前と同じ、「大丈夫」路線、経済優先路線の復活である。