風景の中の色


 枯れ野の向こう、わずかな麦の緑が混じっているが、そこを越した遠くの方を歩いている赤い点が目にとまる。一キロ以上離れているから、芥子粒ほどだが、それが見える。視界を占めているくすんだ色のなかにあって、赤が目を引く。赤色の特色なのだろう。だから道路標識の通行止めは赤色で書かれている。日本の看板には赤色が多用され、景観をいちじるしく破壊する。
 奈良に住んでいた時、明日香から御所への帰り道、なんとたくさんの看板が乱立していたことか。赤と黄色があふれる看板。千数百年前の飛鳥の時代は自然界の色のみが充ちていた。こんなにも色による汚染が氾濫するとはと愕然とした。
 古代日本語では、色を表す言葉は、アカ、アオ、クロ、シロだけだった。これらはみんな自然界を表すものだった。明るい色のアカ、暗い色のクロ、藍色のアオ、「顕(しる)し」色(はっきりした色)のシロ。緑の色はアオにふくまれた。現代になっても、日本の信号は緑色を青色と言う。
 古代の日本、景観は自然の色のみだった。
 暗がりの中、夜明けがやってくる。東の空が赤く染まり、鳥たちが飛ぶ。暗から明へ、黒から赤へ。
 日が昇る。山も野も明るくなる。空の青さがあざやかになっていく。野や山の緑かがやく。赤から青へ。
 色さまざまな百花繚乱。色とりどりの百鳥(ももどり)飛ぶ。

 天平二年、旅人の家で三十二人が集まって宴会した。杯を傾け、梅の花を愛でて歌をつくった。「万葉集 巻五」には、その宴でつくった三十二首が載っている。その序文にこうある。
 「春の初めのよい月で、空気が澄み、風が和らぎ、梅は鏡の前の美人の装いのように開き、蘭は君子の装いのように開いている。
 明け方の山には、雲が動き、松には苔がついて、きぬがさを傾けたようで、夕方の谷の山には霧がかかり、鳥は林に飛んでいる。
 庭には生まれたばかりの蝶が舞い、空には雁が帰っていく。天をきぬがさとし、地に座って、ひざを近づけ、杯をとばし、部屋の中でみんなで親しく景色を見ながら、くつろいだ。
 気分はせいせいとし心地よく、みんな満足した。歌でなければこの心持ちを表すことができない。」


  梅の花 今さかりなり 百鳥の 声の恋しき 春来たるらし
 
  春の野に 霧たちわたり 降る雪と人の見るまで 梅の花散る