「扇町サロン」第一回・テーマ「次世代に誇れる安曇野の景観」<3>

 講座とサロンの座席をどうするか、中村さんはテーブルを四つの島にして、一つの島に四人が座る、市からやってくる講師二人は、前のテーブルに座る、われわれ二人はいちばん後ろに並んで座る、という案を提示したのでそれにした。
 講座が始まり、このような出前講座で話をするのは初めてだと言って都市建設部の二人が45分しゃべった。たくさんの写真を入れたオリジナルの冊子が配られ、それをもとに、概要を説明して講座が終わり、市民の側から質問、意見を出すことになった。
 この段階で、コーヒーとケーキを座席の前に配った。
 意見のトップバッターは意外な人だった。扇町コーラスに来て一緒に合唱している女性のヨウさん、コーラスの練習のときは発言することもない彼女が手を挙げて発表。
 「わたしは、数年前、鎌倉からこの地にやってきました。あこがれのこの地に住んだところは、60坪の区画の敷地に建てられた一戸建ての住宅地でした。ところがこの敷地では木々を植えるスペースがありません。冬になるとたいへんです。雪が積もると、その雪をどうすることもできない。どこへも持って行きようがないんです。それで住民の間でトラブルも起こるんです。住宅地は樹木もない景観です。鎌倉では、家はこんもりと樹木で囲まれていました。」
 あちこちに田畑を宅地に転換して10軒から20軒ほどの宅地が造成され、そこに家が建っている。家が建つとガレージが造られる。ここでは車なしでは生活できない。ガレージのスペースを取ると屋根より高くなる樹木は植えられない。
 この意見に触発されて市民の中から次つぎと意見が出てきた。安曇野の景観は、家々の屋根を越す樹木の連なりによって美しい。その連なりが自然と人工物との調和・リズム・旋律を生みだしている。ところが新たに開発された小規模宅地には屋根を越す樹木の美はない。生け垣の緑もない。駐車スペースを考えればそうなる。
「たしかに新興の住宅地は家々が近接し、駐車スペースをとれば、残るスペースは少ないから木を植えられないですねえ。」
「雪のたくさん積もったときは困るよねえ。」
 大きな道路は、市の方でラッセルしてくれる。けれど家の周囲は自分ですることになる。雪の持って行くところが離れていたら、高齢者にはとても無理だ。
 たしかに雪かきは重労働だ。信州に引っ越しをしてくる人は、いい気候のときの信州を知っていても、冬の大雪の時はどうなるか知らない。だから引っ越しを考えるときは、四季を通して、その地の状態を知っておかないと、とんでもないことになる。
 寄る年波には勝てないしねえ。余生は信州でと思って、仕事から解放されてやってきた。ところが時の経つのは速い。あっという間に70になり、あっというまに80になる。若い時の感覚で来たら、こんなはずではなかったということになる。
 圃場整備工事によって、田んぼが大型になり、新しい6メートル幅の直線道路がつくられた。これが幹線の広域農道に接続して、自動車が進入してくる。これを危惧する意見も出た。便利なように便利なように、それが新たな問題を生む。
 中村さんは、電柱のことを言った。「市長と語る会」で、電柱が美観を壊している、地下配線できないかと意見を出したら、市長は、「金がない」と答えたという。市長のその突き放したような言い方を聞いて、2011年のとき僕が体験したことと同じだなと思った。福島の子どもたちを招くキャンプを企画して、応援を頼みに行ったとき、市長は言った。「金はない」。市民の思いを汲み取り、企画への共感がまずあってしかるべきだろう。「金がない」は思いの共有の後に出てくる言葉だ。
 サロンの意見は次つぎと出た。9人が発言した。
 ぼくは「歩く文化」の復興を提唱した。歩く人のための緑道、小道、ベンチに座って景色を眺め、人と交流できるオアシスをつくる。梢は高く、夏は緑陰が涼しい。幹線道路沿いにもオアシスをつくる。そこにはカフェもある。出店もある。日曜日には、フリーマーケットもたつ。家族が集う。恋人たちがやってくる。旅人が訪ねてくる。美しい景色は、市民のつくる文化とともに豊かに創られる。