「プロヴァンスの村の終焉」


 ウイーン楽友協会のシュタイネルナーザールが語っていた。
「子どもの頃は森が好きで、毎日森の小道を散策していましたよ。森の管理人になりたかったのですが、バイオリンに出会って、結局バイオリニストになりました。」
 長くウイーンフィルハーモニーコンサートマスターを務めていた人だ。シュタイネルナーザールの子ども時代、森が生活圏にあったから、毎日森を歩いた。生活圏にあるということは、すぐ近くに森があるということだろう。日本の場合、森と言えば山にある。平野の森は消滅した。そして農地になり、都市に飲まれた。オーストリアやドイツ、フランスでは、森が平野に保存されている。公園イコール森林ということになっている。
 「プロヴァンスの村の終焉」(ジャン・ピエール・ルゴフ 青灯社)という大著が2015年に出版された。そこにフランスのプロヴァンスは終焉に向かっていると、その変化が詳細につづられている。著者は政治社会学者。
 これまで多くの日本人の憧れたプロバヴァンスは、森や野に延びるウォーキングロードの散策、歴史遺産・音楽祭・演劇祭・巡礼祭への訪れ、セザンヌゴッホの描いた自然や芸術との出会いの地だった。
 ところが、都会や世界からやってくる観光客や移住民、開発、高速道路建設など、時代のもたらす変化によって、住民の気風も変わってきた。プロヴァンスのカドネ村についてこう書いている。
 「1793年から1980年代までの約二世紀のあいだ、カドネ村の住民数はほぼ一定を保っており、2000人から2500人のあいだを推移していたのだが、今日では4000人以上に達している。」
 1980年ごろから変化が始まるということは、やはり発展に共通した形なのだろうか。カドネ村はリュベロン山地に隣接する村で、農地が広がっている。「木を植えた男」を著したジャン・ジオノは、「プロヴァンスは一つではなく、千の顔、千の性格を持っている」と書いているが、その変化をどうとらえるかも簡単ではない。
 そこへ一大事業が始まる。「リュベロン地方自然公園」の建設だった。面積は18万5千平方メートル。日本の香川県の面積ほどある。この公園の中に77の市町村が包み込まれる。住民は15万人。公園設立趣旨には、無秩序な建設ラッシュと観光客の大群からこの地方の動植物を守ることとある。計画に対する賛否、意見はいろいろ出た。自分たちの伝統の否定だとか、土地を奪われるとか。しかしまた生物多様性の自然を守らねばならないと、歓迎する意見も多い。プロバンスには、小型のサソリもいるらしい。刺されたら痛いが死ぬまではいかない。巨大なモンスズメバチオオスズメバチもいる。ヒキガエル、ヘビ、トカゲ、イノシシ、キツネ、ウサギ、オオヤマネ、いろんな動物がいる。
 読んでいて、日本の状況が頭に浮かび、思考は日本に還ってくる。経済優先、開発優先、成長優先、便利優先、速度優先、その掛け声でやってきた結果が、今目の前に展開する。
 そして恐るべきは、日本は、世界はどこに向かっているか、人間のなかに何が生まれているかということなのだ。