シューベルトの「冬の旅」


 中国・武漢大学でのぼくたち夫婦の部屋は、ゲストハウスの2階にあった。居間、書斎、寝室、合わせて3室あり、窓の外には広大な大学の森が広がっていた。隣に東湖が豊かな水をたたえていた。ぼくは、大学の2回生から4回生、そして大学院生の日本語科の学生に教えることに集中する以外は、静かな環境でのシンプルな暮らしだったから、心身が音楽を聴くことを欲した。
 大学は武昌区にあった。CDラジカセがほしい。漢口には日本のデパートもある。そこで購入しようと思い立ち、4回生の学生に付いていってもらって、バスに揺られてデパートに行き持ち運びのできるラジカセを買って帰った。
 大学の周辺にはCDショップが数軒あったから、ぶらぶら出かけてはCDを買った。価格は安かった。その時に買ったクラシック音楽のCDの数は3,40枚になったが、海賊版が多く、なかには録音が途中で途切れるのもあった。そういう品は、店に持っていくと、すぐに別のものに交換してくれた。悪質なものが多い中に、これはもうけものだと思えるものもあり、それは、今もときどき聴く。いちばんは、シューベルトピアノソナタの収録された10枚シリーズで、5枚を購入した。
 CDの大半は、帰国するときに学生たちにプレゼントし、気に入っていたものだけ日本に持ち帰った。
 それから後、北京、青島で教える機会があり、そのときに買ったもののなかに、シューベルトの「冬の旅」がある。バス歌手のシューラ=ゴールマンの歌だった。
 今日は、それを全曲、3回聴いた。ふきのとう味噌と黒豆を郵送する準備をしながら、聴いていた。残念ながら名バリトン歌手のフィッシャー=ディースカウの歌ったものではない。だが、これまで何回か聴き、今日また聴いて、改めてこのCDもいい録音で、歌もいいなあと思った。ゴールマンのバスの、大地に響くような低音が心地よかった。なかでも「菩提樹」と「郵便馬車」が心にしみた。
 ふーっと森田博さんを思い出した。1970年代の矢田南中学校の同僚、彼は障がい児学級を担当していた。学校演劇の脚本家であり、絵や詩も書いた。彼のオリジナル紙芝居は、ど迫力があった。
 冬のある日、博さんは、
 「毎日、フィッシャー=ディースカウの『冬の旅』を聴いてる」
としみじみと言ったことがある。LPレコードのそれを飽くことを知らず、家に帰れば聴いていると。
 あの寂寥感あふれ、絶望と悲哀と孤独に呻吟するようなこの歌を、博さんは愛聴していた。
 それを聴いてから、ぼくの心に『冬の旅』がしっかり残った。
 フィッシャー=ディースカウは2012年5月18日に亡くなった。博さんは、ぼくより年上だった。今どうしているだろう。たまらなく会いたくなった。