ノーベル平和賞を受賞したマララさんのスピーチを授業に

 今朝、ノーベル平和賞を受賞したマララさんの、ノルウェーオスロでのスピーチの要旨が、新聞に掲載されていた。(朝日)
 スピーチの英語文と、日本語訳が、並んで、一面を埋め尽くしている。マララさんのまっすぐな心情が、スピーチにあふれている。マララさんの置かれてきた生活、世界の子どもたちの現実と悲しみが、そくそくと伝わる。物理学賞を受けた日本人三人のニュースと共に、朝刊を読みながら思う。マララさんのスピーチこそ子どもたちの教材にぴったしだと。多くの学校で行われている教科書の、通り一遍の授業を今日明日は中止して、このスピーチを印刷し、学校の英語と国語の全授業を、スピーチを読むという授業に変更する、というような大胆で画期的な創造をできないものか。それこそ生きた授業なのだ。中学高校の英語と国語の授業で、あるいは小学校で、マララスピーチの授業は、教師がその気になればできる。みんなでできなくても、ひとりの教師の良心で行なうこともできる。
 スピーチを読んでいて胸が詰まった。マララさんはこう語っていく。

 「10歳のとき、美と観光の地だったスワートは突然、テロリズムの地に変わってしまいました。400以上の学校が破壊されました。女の子たちは学校に行くのをはばまれました。女性たちはムチで打たれました。無実の人々が殺されました。すべての人々が苦しみました。そして、私たちのすてきな夢は、悪夢へと変わったのです。
 教育は『権利』から『犯罪』になりました。
私には二つの選択肢がありました。一つは何も言わずに、殺されるのを待つこと。二つ目は声を上げ、そして殺されること。私は二つ目を選びました。声を上げようと決めたのです。
 2012年10月9日、テロリストたちは私たちを止めようとし、私と友人を襲いました。しかし、彼らの銃弾は勝利をおさめることはできませんでした。私たちは生き残りました。その日から、私たちの声は大きくなるばかりです。‥‥
 私はオスロパキスタンやナイジェリア、シリアから、仲間たちを連れてきました。また、あの日、スワートで一緒に撃たれた、勇敢なジャジアとカイナート・リアズも一緒です。彼女たちも悲惨なトラウマ(心的外傷)を受けました。さらに、パキスタンから来たカイナート・ソムロは激しい暴力と虐待を受け、兄弟を殺されましたが、屈することはありませんでした。
 マララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちも一緒にいます。勇敢な16歳のメゾンはシリア出身です。今はヨルダンの難民キャンプで暮らし、少年少女たちの勉強を手助けしながら、テントを行き来しています。
 アミナの出身地であるナイジェリア北部では、「ボコ・ハラム」が、少女たちが学校に行きたいとと望んだというだけで、彼女らを脅し、誘拐しています。
 私は、学校に行けない6600万人の女の子なのです。
 数十万人もの罪のない人の命を失う紛争がいまだに起きています。シリアやガザ、イラクで、多くの家族が難民になっています。ナイジェリア北部では、女の子が学校へいく自由がありません。パキスタンアフガニスタンでは、自爆攻撃や爆発で罪のない人びとが殺されています。アフリカの多くの子どもたちは、貧しさのために学校へ行くことができません。インドやパキスタンでは、社会的タブーのために多くの子どもたちが教育を受ける権利を奪われています。児童労働や女児の結婚が強制されています。
 私と同い年で、とても仲がよい級友の一人は、いつも勇敢で自信に満ちた女の子で、医者になることを夢みていました。でも、12歳で結婚を強いられ、すぐに男の子を産みました。たった14歳、まだ彼女自身が子どもでした。彼女ならとてもいいお医者さんになれたでしょう。でも、なれませんでした、女の子だったからです。
 彼女のことがあったから、私はノーベル賞の賞金をマララ基金にささげるのです。マララ基金は、女の子たちがあらゆる場所で質の高い教育を受けられるように援助し、世界の指導者に、私やメゾン、アミナといった女の子たちを支えるよう求めるためにあります。基金の最初の使い道は、私が心を残してきた場所、パキスタンに、特に故郷のスワートとシャングラに、学校を建てることです。
 私の村には、今も女子のための中学校がありません。私の友だちが教育を受けることができ、ひいては夢を実現する機会を手に入れることができるように、私は中学校を建てたいです。‥‥
 どうして『強い』と言われている国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすにはとても非力なの? どうして銃を与えるのはとても簡単なのに、本を与えるのはとても難しいの? 戦車をつくるのはとても簡単で、学校を建てるのはとても難しいのはどうして?
私たちは皆、不可能なことはないと信じています。月に到着することはでき、まもなく火星に着陸するでしょう。それならば、この21世紀に、『すべての子どもに質の高い教育を』という夢を実現させる決意をせねばなりません。
 すべての人々に、平等、正義、平和をもたらしましょう。私たちみんなが貢献しなくてはなりません。私もあなたたちも、それが私たちの務めなのです。‥‥
 空っぽの教室、失われた子ども時代、無駄にされた可能性、こうしたことは私たちで最後にしよう。」