子守唄で眠るラン


 いい天気の日は、ランは庭で過ごす。気温の低い日は、日なたへ、カンカン照れば日陰へ、快適な所を選んで移動してはそこで日がな一日のんびり寝ている。
 暮れると家に連れて入る。きれいに洗ったラン用のタオルで全身を何度も拭いてやる。炎暑に向かう今の季節は抜け毛が多いから、毎日ブラシをかけてやり、それから体拭きになる。頭からしっぽまで拭き終わり、最後に足の裏を拭く時は、ぼくは椅子に座って、体重23キロのランをよいしょと両腕で抱きあげ、ひざの上に後ろ向きに座らせる。ランの背中はぼくの体にぴったりくっつく。こうして10年間、ほぼ毎日やってきた夕方の作業。長年やってきたから、ランの体は無意識に反応する。順番通りに体をぼくに預けて静かに拭かれている。右の前足、左の前足、右の後ろ足、左の後足、この順序は変わらない。ランは順序どおりに足をさし出す。
 全部終われば、玄関の上にポンと跳んで移動する。それから後ランは居間で自由に過ごす。夜の寝床は二階にあるから寝たくなったら二階に上がっていく。
 ところで、おもしろい発見があった。
 家に上がるとき、足を拭き終わった後、ぼくはしばらく抱っこすることがある。ランの体温が胸に伝わり、ほかほかする。ぼくの顔の真横にランの顔があるが、ランは真面目くさった横顔を見せて、まっすぐ前を向いている。
 発見というのは、子守唄を歌ったときのことだ。ぼくはひょいと子守唄を歌ってやった。口をついて出たのは東北地方の子守唄だった。津軽地方の子守唄でもある。
     ねんねーこ〜 ねんねーこ〜 寝だと〜え〜
     寝んねば〜 山がら もっこ来らで〜
     それでも泣〜けば 山さ捨てでくる〜
     寝〜ろじゃ〜 やえ やえ やえ〜」
 素朴なのどかな調べ、この歌は1960年代の終わり頃、大阪矢田の合唱団でよく歌った。大阪市南部の大和川のほとり、合唱団のメンバーは年配の婦人たちと革新系の若者たちの混合で、運営をめぐって、のちに両者は分裂した。ぼくは若者たちのグループのメンバーでこの歌に出会った。
 「寝なければ、山から、お化けが出てくるよ、それでも泣くなら、山にすててくるよ」
 そんなに脅さなくてもいいのに、と思う歌詞。赤ちゃん,こわくなるよ。でも、愛情たっぷりのいい歌だ。
 ぼくは、この遠い思い出の歌をランに歌ってやった。そして歌に合わせて、ランを抱っこする両手のひらでランの胸のあたりを、やさしく歌に合わせて小さくたたいた。
 すると、ランの頭が左腕の外側に垂れ下がっていって、眠りだした。左腕に体重がかかる。それまで動いていたしっぽも体も動かない。しばらくぼくは歌っていた。ランは静かに眠っていた。
 子守唄と同時に、体を小さくたたく、これはぼくが小学生の時に母がやっていた寝かせつけ方だった。弟が生まれ、ぼくもそれをまねて弟を寝かせるときにやった。ふとんの上から、かすかにポン、ポン、とリズミカルにゆっくりたたく。それが赤ちゃんに親の存在と安心感を与えるのだと思った。
 子守唄でランが眠る。翌日もやってみると、やはりランは頭を下に垂れて、寝てしまう。翌々日もそうだった。
 子守唄のリズムが眠気を誘うのか、ポンポンたたくリズムが睡魔を呼ぶのか、ランの体はすっかりリラックスしている。
 実際に眠っているのか、短時間だけリラックスして眠ったようになるのか、よく分からない。けれども、何かがランに伝わっていくのだと考えられる。
 犬も子守唄をうたうと、静かに眠る、赤ん坊のように。