モズの巣立ち


 ミニ牛蒡の種をまいた。ミニと言っても根っこは50センチにもなると種袋に書いてあった。できるだけ高畝にしたが、それでも根が50センチも伸びると堅い土の層に突き当たるだろう。そうなるとゴボウの先端は曲がる、いやそれでも根は堅い土に入り込んでいくかもしれん。おいしいゴボウが店にない。この地ではあまりゴボウをつくっていないのかな、おいしいゴボウが食べたい、植えてほしい、と家内が言うから、初めての種まきとなった。
 夕方4時を過ぎると気温がぐんと下がる。モズが一直線に飛んできて、生け垣の端の一本の茂みに入った。イチイの生け垣の端に、一本だけアカカナメがこんもり丸く茂っている。そこにモズの巣がある、と直感した。アカカナメは3メートルほどの高さでずんぐりと、木の中が見えないぐらいに葉を茂らせている。木の周囲を覆うように葉が茂り、その中は混みあった枝だけの空間になっていて、巣を作るにはもってこいの秘密の基地だ。
 ときどきモズは、我が家の庭にやってくる。それがこのごろ、ほとんど毎日のようにつがいの姿を見る。長いしっぽを上下に動かし、時にしっぽをぐるぐる回したりする。庭のハナミズキに止まっていて、鋭く辺りを観察し、獲物らしきものを見つけると、地面の草むらの一点へ直線で移動し、何かをくちばしにくわえて元の枝にもどる。7、8メートル先の虫も見つける。
 いったいこの季節、どんな獲物なんだろう。この地では、トカゲは見ることがない。バッタ類も見ない。餌になるとすれば、アマガエルかイボガエルぐらいのものだ。この冬、ムクゲの枝に、モズのはやにえ、小さなカエルの干物があった。
 アカカナメにきっと巣がある。これはまず間違いない。チッチッチという声も聞こえる。
「巣があるから、近づかないようにね」
と家内に告げる。
 すでに息子と孫たちはお昼に神戸に帰っていき、また老夫婦ふたりの暮らしになった。息子は安曇野ラソンに出るために安曇野に帰ってきていた。この三日はにぎやかだったが、またひっそりした暮らしになった。
 「モズの巣をのぞいたらあかん」
 小学校のとき、このことを体験して学んだ。子どもの頃、我が家の隣に村の霊園があり、その境界に樫や椿の背高く茂った生け垣があった。モズが巣をつくるのは、つやつや光る葉を大きく茂らせた椿の木だった。小学生のぼくはそこに巣があることに気付き、ある日こっそりのぞきにいった。細かく枝を張る茂みの間に身を割り込ませると、頭の上のほうにお椀のような巣が乗っていた。下枝に足をかけてはいあがり、のぞいてみると卵がいくつか産んであった。
「モズの卵だ」
 かわいくて美しい卵だと思った。ぼくは卵をそのままにして家にもどった。それからだった。モズの姿が辺りから消えた。
 石屋の息子カツミはわるがきで、ぼくは嫌いだった。ぼくは小学2年生で村の小学校に転校してきたのだが、カツミはぼくにいやなことをした。掃除の時も遊びまわり、「おまえ。やっとけ」と命令した。朝の登校時に、観音さんの境内で、カツミも入ったわんぱく連はビー玉をやっていた。その横をひとり通過しようとすると、
「センセに言うたらアカンぞ」
とおどした。
 カツミは、野生児だった。カスミ網で鳥をとっていた。網は親からもらったらしい。我が家の横の椿にモズが巣をつくることをちゃんと知っていて、彼はそこにカスミ網をしかけた。けれども、ぼくがのぞいたために親鳥はもう戻ってはこず、彼の仕掛けに鳥はかからなかった。カツミは、親鳥に見捨てられた卵を持って、帰っていった。
 「カスミ網、使うたらあかん」
 ぼくはカツミにはそう言えなかった。
 後で分かったことだが、カスミ網で小鳥をとることは既に禁止されていた。絹糸でつくられたカスミ網は、鳥の目には見えにくい。だから大量の小鳥がカスミ網にかかった。禁止になったのは1947年だった。
 
 翌日、庭のハナミズキにモズがいる。ヒナだ。親鳥が餌を運んでいる。巣立ちをしたのだ。ヒナは2羽見えた。親鳥たちは、せっせと餌を探している。ヒナを満足させるだけの餌が見つかるだろうか。