天に代わりて不義を討つ

 

  私が生まれた年に日中戦争が勃発した。ラジオは日々、戦果を放送した。幼児の私は軍歌を聴きおぼえて、よく口ずさんでいた。歌詞の意味はなんとなく分かった。

 

    天に代わりて不義を討つ
    忠勇無双の我が兵は
    歓呼の声に送られて
    今ぞ出で立つ父母の国
    勝たずば生きて還(かえ)らじと
    誓う心の勇ましさ

 

    私の小学二年生の夏、敗戦がやってきた。日本軍国主義は消滅した。けれど軍歌は私の頭の中に残っていた。大人になっても残っている。私は思った。天に代わって悪い国を亡ぼすとは、よくも言えたものだ。まったく逆ではないか。中国、東南アジアを侵略した日本軍は何をしたか。悪逆非道。

   「掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺など、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり」

    日本陸軍省は、昭和40年、そう認めていた。

    戦時下、朝日新聞記者として中国に派遣された斎藤一は、日本軍の侵略の実態をつぶさに見た。

     十数年前、朝日新聞に特集連載記事「新聞と戦争」があり、斎藤のその体験が書かれていた。

    「昭和43年頃、斎藤の長男が予科練に志願したいと打ち明けた。斎藤は許さなかった。泣きながら、半狂乱になって何度も息子を殴った。

   『行かせねえ、戦争など行ってはならねえ』

    戦況すでに劣勢。しかし新聞は日本軍の『赫(かくかく)たる戦果』、偽情報を伝えていた。」

    「この戦争は聖戦」であると日本国民の大多数がそう信じていた。しかし二度にわたって戦地に派遣された斎藤だったから、真実を見極めることができた。