ルアンの送別会


 あと5日すれば、ルアンがベトナムに帰る。堀金日本語教室で送別会をした。集まったのは20人。久しぶりに日本人の妻となったフィリピン人の二人が、差し入れを持って来てくれた。日本人と奥さんのベトナム人がかわいい幼子を連れてきた。二組の中国人のお母さんが、小学生と幼児を連れて、餃子と肉まんを持ってきてくれた。小さい子がいると場がにぎやかになる。
 ベトナム人の若者たちは、4人参加した。ルアンはギターをもってきた。例の中古店で買った、ぴかぴかのギターは、彼が独学で演奏できるようになった「翼をください」を弾くために。
 最初にルアンが別れの挨拶をした。3年間の思い出と感謝の言葉と、将来への希望を、うまく表現できない想いをなんとか言葉で表そうと、詰まり詰まりしながらも、最後の言葉、「また日本に来たい、日本が好きです」でしめくくった。拍手がわいた。乾杯をして、食事を始める。まずは全員が一言、贈る言葉を述べる。
 ルアンの席はぼくの左横、右隣はフィリピン人のミゲラさん。ルアンは、ときどき話しかけてきては、右手をぼくの太ももの上に置いた。以前から彼は教室にやってくると、よくぼくの肩をもんだり、体に接触したりした。それが彼の親愛の情だった。
「このまえ、カラオケ行ってきたよ」
 日本語能力検定試験3級に合格した彼は、自信も生まれている。
「カラオケで未来という歌と桜の歌を歌ってきたよ」
 日本の歌は、この三年間、インターネットから聞いて覚えた。夜寝るときに、いつも聴く。
「こぶくろの歌を初めて聞いたときは涙が出た」
 彼はそう言った。みんなはその言葉を聞いて胸が詰まった。寮の寝床に入って歌を聞いている彼の姿が思い浮かんだ。何が彼の涙を誘ったのだろう、どんな歌なんだろう、そう思ったら、彼はアイホンを指でぽぽぽと押した。するとその歌が流れた。ぼくは初めて聴く曲だった。歌詞はよく聞き取れなかったが、いい歌だなあと思った。ぼくの知らなかった「こぶくろ」の歌の世界があるように思った。
 ミゲラさんは、今度一人暮らしをしている義母と一緒に住むことになったと言った。日本人の旦那の母親は、ここより北の雪深い村に住んでいる。一人で暮らしてきたが、90歳を過ぎて足が不自由になった。そのお世話をする。フィリピンの気温とは大きな差がある日本の地方暮らし。去年はフィリピンの親もとに一回も帰らなかった。今年は11月に帰る予定になっていると言った。子どもはまだ授からない。その話に及んだ時、彼女は両手をあげて大きな身振りで、子どもがほしいと、顔をしかめて言った。
 いよいよルアンの演奏。ギターを抱えたルアンは、ひっそりと弦をつまびく。そして小さな声で「翼をください」を歌った。それからみんなで歌った。
 指導者の一志さんが準備してきてくれたCDを流して、「桜」をみんなで繰り返し歌った。そして「明日の日はさようなら」を、何回か繰り返し歌った。
 ルアンは、明日は友だちに会って東京見物してくるといった。その次の日は、満開の桜を見に、指導者の平倉さんが案内するという。
 そして15日、彼は故郷へ帰る。
 「お父さん、おかあさん、弟、妹が待っている。またいつの日か日本に来たい。みなさんに会いたい。」
 ルアンの幸せを祈る。