梅雨の晴れ間に、蓼科へ行った。
ワイフがぜひともバラクラのイングリッシュガーデンに行きたいという。少し道を迷い、八ヶ岳連峰が前方に現れたところで、途中のゲストハウスの奥さんに道を聞いた。
目的地のガーデンに到着、標高が高いせいか、バラの開花はまだだったが、今の季節の各種の花がガーデンの敷地を歩き回ると咲き匂っていた。ガーデンをとりまく森の木々でハルゼミが鳴いていた。よく聴くとフィーフィーと笛を吹くような音色とジィジィジィジィという声とが重なっている。ガーデンのスタッフに聞けば、エゾハルゼミだという。ガーデンはこの蝉の声の合唱につつまれていた。高木のこずえごしに広がる青空から降り注ぐ日の光と、庭の多種多様な草花の色模様、飛ぶハナアブやミツバチのかすかな羽音に、ふっくらと心が和む。いたるところにベンチがあり、そこに座っているだけで心が満ち足りてくる。
ガーデンの入り口近くに、青空に映える数本の喬木が目を引いた。黄緑に輝く葉がすがすがしく、小葉が風に舞い踊る。
ガーデンの小さな木づくりの売店で、おばさんがドライフラワーの花束をつくって販売していた。
「あれは、何の木ですか?」
おばさんは店から跳んで出てきて、笑顔で答えてくれた。
「ゴールドアカシヤという木ですよ。すごい新緑でしょう。この前までまだ芽吹いていなかったんですよ。芽を吹くとすごい勢いでもうあんなになって。三十年前に、このガーデンをつくったオーナーが、あまりに見事なのでイギリスから日本に持ち帰ってきたものです。」
おばさんは話がどんどん湧いてくる。あのゴールドアカシアはここのシンボルツリーですよ。確かにそのとおりだ。
おばさんの言葉のなかに大阪弁の響きがあったから、ワイフが、
「大阪の人ですか?」
と聞いた。
「わかりましたか? 私、大阪で生まれて二十歳のころ東京へ出て、音楽を教えたりしていましたが、今から三十年前、こちらに来ました。」
「私たちも大阪出身ですよ。」
「分かります、分かります。私、大阪の人に出会うと、私のなかの大阪が出てきて、心が解けるんです。心が落ち着くんです。」
おばさんは解放されたかのように、饒舌になった。僕らも大阪弁を交えて話す。
おばさんの作っているドライフラワーはスターチスの一種で、この地で栽培されており、おばさんが農家まで行って買ってくる、それを運んできてこうしてそのままドライにしている。
「私もね、もう八十になるので、来年引退しようかと思ってるんですよ。」
「いやあ、まだまだ元気ですよ。これからもシンボルレディでいてくださいよ。」
シンボルレディ、この言葉におばさん、大笑いした。いやいやいや、もう年ですよ、と思いつつも、そう言われるとうれしい。
シンボルレディさん、元気で続けてください、そう言って別れた。
故郷の言葉は人を解き、人をつなげるものだ。