[日本社会] 秘密

                      変な形のニンジン



    わたしの秘めごと 父様に〜、
    つげぐちする人 だれもいない〜
 若いころ歌ったロシア民謡黒い瞳の」秘めごと、男の子と女の子との間の秘め事。
 内緒のこと、隠しごと、知られたくないこと、言いたくないこと、どんな人にも秘密がある。心の中に隠していることがある。
 私という人間の生涯のなかの、そのことは言えないというもの。いつか解禁してだれかに言えるようになるだろう、たわいないものもあるし、たぶん誰にも言わないで、いや言えないで人生を終わる、そんな秘密もある。
 言えない秘密には、それを言えば自分自身の否定につながりそうで、心が痛むものがある。自分自身の否定にはつながらないが、人に言うべきことではないと、ふたをしてしまうものもある。不名誉なこと、かっこうわるいこと、まちがったこと、感情がそれを記憶の隅に押し込めて遮断する、そういう秘密もある。自分の犯した罪責もあれば、他者から受けた深い傷もある。
 個人に秘密があるように集団にも秘密がある。会社には外部に漏らさないようにという、不都合な真実が丸秘となって隠されている。学校にも外に漏らさない秘密がある。国、政府にはどえらい秘密がある。
 ぼくが小学一年生のとき、家の前の三つの大きな池の堤、ススキが生えていたところに小さな兵舎がつくられ、いつも数名の兵士がいた。そのなかに一人の若い工兵がいて、名を中西と言った。家の庭に柿の実ができると中西が食べたいというから持って行ってやった。ぼくは中西と仲良くなり、学校から帰ってくるとそこへ遊びに行った。夏になると中西は池の雷魚を釣って、きれいにさばいて皿に入れ「家族で食べや」と言って渡してくれた。二年生の八月、戦争が終わった。その直後のことだった。兵舎にいた彼らは手榴弾らしきものをつぎつぎ池の中に投げ込んでいる。その一個が投げ損じて上官の額をかすめてけがをした。それは訓練用の模擬手榴弾であったのか実弾だったのか分からない。爆発することはなかった。手榴弾は菱の葉の浮く池の中に沈んでいった。兵舎の整理が終わると彼らの姿はたちまち消え、アメリ進駐軍ジープが町にもやってきた。後にぼくは、あの池に投げ込んだのは、何かを隠すためではないかと思った。単に武器弾薬の急ぎの処分だったのかもしれないが、軍は機密の塊であるから進駐軍がくるまでに処分しようという意識が働いたのではないかと思った。その後、長い年月を経て、池はすべて埋めつくされ、手榴弾の投げ込まれた土地の上に高齢者福祉施設がつくられた。他の二つの池の上には住宅街と、小学校が建設された。
 集団が持つ秘密。最も秘密を多く持つところは軍だろう。権力性の強力な集団ほど秘密は強い。独裁専制国家は秘密と弾圧機関で体制を維持する。日本の敗戦後、連合国は戦犯を処刑した。外地の捕虜収容所においても、日本軍の犯した罪が裁かれて処刑が行なわれた。しかし多くの兵士は刑をまぬかれた。
 戦場から帰還した生き残った兵士たちは、みずからが犯した罪について、固く口を閉ざしている人が多かった。戦後すぐのころは戦犯容疑を恐れて黙秘する。新日本が独立した後も、戦地で犯した罪を心に秘め、それが原因でPTSD(外傷後ストレス障害)に苦しんだ人もいる。黙ったまま世を去った人の数はおびただしい。今も戦場の真実を秘したまま80代90代を生きて土にかえっていく。戦争責任を厳しく断罪し、反省し、謝罪する国民的な運動は起こらなかった。今の日本はそのあいまい性に連続しナショナリズムに依拠して、怪しげな動きにおちいりはじめている。
 軍医として中国、フィリピン、ビルマ戦線に従軍した詩人の故丸山豊、
 「戦争にはまだ書けない部分が一点だけのこっている。書けぬことと書かぬことがある。それをどこまでも追いつめるのが勇気であるか、化石になるまで忍耐するのが勇気であるか、 私は簡単に答えることができない」
 かろうじて戦場から生還した彼は、遺児をつれた戦争未亡人と結ばれた。
 「つぶらまなこの遺兒をつれ 谷をわたり梨畑をぬけて 青い電車にのつて嫁いできた妻は 私のこめかみや膝小僧のあたりで かすかに死が匂ふ、といふ」
 そして戦場から帰還して平穏に生活していた元兵士が突然自殺したことにおののくのだ。
 朝鮮人従軍慰安婦のこと、捕虜の生体解剖のこと、戦場体験は、帰還者に沈黙を強いた。心にのこる深い傷が声を閉ざす。


 1971年、沖縄返還協定が締結された際に、日米両政府は密約を結んでいた。アメリカは返還する基地の原状回復費用を400万ドル所有者に支払うと協定になっていたが、それは表向きで、裏側では国民に秘して日本が負担するという密約だった。毎日新聞の西山記者はその秘密を暴いた。しかし政府はそんなものは存在せずと、隠蔽を押し通し、西山記者をおとしいれ、最高裁は西山さんに有罪を言い渡した。その後、密約はあったということが明らかになる。密約の日本側代表、吉野文六氏が「密約はあった」と認めた。
検事総長松尾邦弘さんが、10日の「朝日新聞」のオピニオンで語っている。
 「政権中枢や外務省関係者は、明白に虚偽の証言をした。検察の調べにに対しても、上から下まで虚偽の供述を重ねていたのです。国家権力は、場合によっては、国民はもちろん、司法に対しても、積極的にウソを言う。そういうことが歴史上、証明されたのが密約事件です。歴史の中で、あそこまで露骨に事実を虚偽で塗り固めて押し通したものはありません。国家の秘密をめぐっては、こういうことがあるんだ、と検察官、裁判官も事実として認識すべきです。」
 「密約という国のウソを暴いた西山さんの有罪は確定したまま、ウソをついた方はおとがめなしという事実だけが残ったのです。」

 12月10日、特定秘密保護法が施行された。
 12月14日、衆議院選挙投票日だ。