広島市の土砂災害に見る都市計画


 広島で起こっている同時多発土砂水害の空中写真を見て、唖然とした。
 被害状況にも驚愕するが、もう一つ、土砂災害を受けた地域を見て驚く。谷間はびっしりと民家が埋めつくしているではないか。山の麓、山林と住宅地区との境に全くすき間もない。山へと這いあがるように住宅密集地が地域を覆い尽くしている。住宅が平地を蚕食して、とうとう空き地がなくなってしまった、という感じだ。
 昔、人家の少なかったときは、住宅地と山との間に距離があっただろう。その後、住宅地が広がり、住宅が過密になり、次第に宅地が山のほうへ、上へとはいあがっていったのだろう。
 そしてかつてない集中豪雨が襲った。
 やはり人災である。住宅建築が何の規制もなしに、無計画に行われてきた結果だ。一目見て、そのことの異常さを思う。
 行政の都市計画のなかに防災対策はあった。ハザードマップはつくられていた。しかし、それは機能していなかった。災害が発生してから避難指示が出たということは、たぶんに危機意識が薄かったということだ。その薄さがこれまでの都市計画の欠落を生んだ。
 この事故の示しているのは、都市計画の不在、もしくは都市計画があってもそれを実行してこなかったということの結果である。
 危険地域に住宅を建ててしまってから、そこは危険地区ですと言っても遅い。営々と働いて住宅を建てた人たちは、今まで災害がなかったのだからまずは大丈夫だろうという意識が働いてそこに住む。ここは危険だから立ち退いてください、とまで行政は動かない。危険が迫ったら早急に避難してください、というだけのことだった。
 危険地区に住宅地が広がっていくことを行政は見ているだけだった。この責任をどう考えるか。

 予期せぬことが起こるという推測はしても、根本的な対策までは進まない。根本的に安全な都市を作るという政策が存在していなかった。
 安全な都市をつくるという計画ならば、
 山のふもとには、土石流が来ても大丈夫なところまで、一定距離の幅をもって住宅を建てない。建てることを認めない。その空間は、里山樹林公園という緑のベルト地帯にする。
 未来何百年先を画きながら、安全で住みよい都市計画を練り上げて実行していく。想定外の大雨が来ても、がけ崩れ、山崩れ、地滑り、土石流が山麓に起こっても、住宅地には影響のない計画を立てる。これは地震対策、津波対策に通じることだ。
 法規制を伴う施策である。

 日本の都市計画は貧弱で、偏りがある。社会資本の貧困、これは防災だけのことではない。
 日本の公園面積は一人あたり10平方メートルになったと、2013年に国土交通省は発表した。しかし、いまだロンドン、ベルリン、ニューヨークの3分の1である。ストックホルムは80平方メートルだ。ワシントンは52平方メートル。
 安全で、健康な、癒しの都市空間をビジョンに、都市計画を立てる。それを成し遂げようとするには、根本的に意識を変えなければならない。
 放射能が広がる危険をそのままに、原発を再稼動しようとする、この国は災害国家から脱することはできない。