生きる樹、死んでいく樹



 庭にある二本のライラックの樹のうち、紫花一本が生き残り、白花のほうが完全に枯れてしまった。5年前に苗を植え、2メートルを越す樹に育って花は芳しい香りを放ってくれていたのが、その一本が去年の秋にみるみるうちに元気をなくし枯れた。原因は多分根元のあたりに虫が入り込んで木の髄を食ったようだ。
 奈良から幼木で持ってきたカエデは、4メートルほどの高さまで枝を張り、去年は盛んに茂っていた樹なのに、今年冬が終わっても新芽が全く出ない。どうして枯れたのかね、とつぶやきながら木肌をなでてみると、根っこからぼくの胸の高さぐらいまでカエデの幹の手触りの感触と、幹が枝分かれしているところから上のほうの感触とが違う。この肌触りの違いは、下の幹は生きている感触であり、上の感触は死んでいる感触だった。枯れている樹と生きている樹とでは、触ったときの感触がはっきり違う。そこで、ひょっとしたら下の幹からまた芽が出る可能性があるなと、毎日木肌をなでていた。けれどもカエデは、どこからも芽が出てきそうなところはなく、幹はすべすべしとしていた。カエデが枯れた原因はこの冬の低温のせいだと思う。マイナス13度に耐えられなかったのだろう。
 工房の裏に、去年渋柿の苗を植えた。ひょろっと細い幹には葉が一枚もついていない貧弱な苗木だった。それから一年たつが、一向に芽が出ない。でも、これも木肌の感触が、生きていることを示していたので、そのままにしておいたら、この春完全に枯れ木の感触になっていた。これもだめだったかと、やっぱり干し柿用に渋柿が欲しいと、新たに苗を一本買ってきてその隣に植えた。
 もうひとつ、これも寒さが原因だと思われるのが、ザクロの樹の枯死だ。これも引越しのとき奈良から持ってきたもので、去年まで元気に実を生らせていたのだが、春になって枯れているのが判明した。

 ところが、5月に、意外なことが起こった。ザクロからヒコバエが出てきたのだ。6月に入ると、カエデの「ひょっとしたら」という予感が当たった。生きている感触のある幹のすべすべのところに、米粒のような赤っぽい芽が出現していたのだ。おう、やっぱり芽をだしたか、観察するともう一箇所にも芽が出かけている。
 柿の樹を見ると、そこにも命の芽生えがあった。去年の苗の根本から緑の芽が伸びてきているではないか。1年以上もじっと耐えていて、ヒコバエで動き出したのだ。今年植えた苗のほうは、いっこうに芽がふかない。これもしばらく休眠するのだろう。幹の感触は生きている。
 去年春に大阪の兄の家からもらってきたトキワマンサクという樹がある。10センチにも満たない小さな苗木は、全部で5本あった。これもこの冬の寒さに耐え切れず3本が枯れた。直径5ミリにもならない細い樹では寒さにも応え切れなかっただろう。残った2本からは、今豆つぶのような赤い葉っぱが出てきた。この樹は、次の冬は寒気対策をしてやらなくてはならない。兄の家のトキワマンサクの成木が開花したときの見事さをここにもたらしてほしい。

 今、野山の木々が命をみなぎらせ、葉を茂らせている。じっと冬を耐えて、機が熟すと芽をふき、枝を伸ばす。
 枯れる樹、生きる樹、きっぱりと木々は自分の命を生き、命を死んでいく。