フィッシャーディースカウの歌うシューベルトの歌曲を久しぶりに聞いていた。
一枚のCDには20曲ほどが録音されている。次つぎと歌曲を聴いてきて、14番目の曲になった。ピアノが静かに前奏を奏で、ディースカウが歌い始めたとたん、胸が詰まった。あの曲。ドイツ語の歌詞が掲載されていないから内容がわからない。だが、なぜか心に染みてくる曲。数年前にこのCDを購入して聴いた時から、そうだった。魂に響いてくる、涙が出る。
フィッシャーディースカウの歌うシューベルトの曲を知ったのは45年前にさかのぼる。職場の同僚の森田博さんが、
「毎晩、フィッシャーディースカウの歌うシューベルトの『冬の旅』を聴いている。もうレコードが擦りきれるくらい聴いている。」
と言って、そのレコードを学校に持ってきたことがあった。それがフィッシャーディースカウの歌う「冬の旅」との出会いだった。それから長い年月が過ぎた。
安曇野に移り住んで図書館へ行った。その音楽コーナーにフィッシャーディースカウの歌う「冬の旅」のCDがあった。偶然見つけたのだが、「冬の旅」はぼくを待っていたように思えた。同僚の「冬の旅」のレコードを聴いてから35年が経っていた。
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウという名バリトン歌手の歌をもっと聴きたい。それから「冬の旅」だけでなく、「美しき水車屋の娘」「白鳥の歌」「シューベルト歌曲集」、そして「ベートーベン歌曲集」、いずれもフィッシャーディースカウが歌うCDを手に入れた。
胸が詰まって涙が出るほど感動するこの14番目の曲、いったいどういう歌なんだろう。CDの中にはさんである曲目では、「夕映えの中に Im Abendrot D799」となっている。そこで、インターネットのユーチューブで「夕映えの中に」を検索すると、ああ、知らなかった。多くの歌手が歌っているではないか。独唱だけでなく、合唱団でも歌われていた。Abendrot、夕映え。シューベルトの歌曲の傑作であり、カール・ゴットリー・ラッペの詩による歌曲で最も美しい作品であるという。
父よ、なんと美しいあなたの世界よ。世界は金の光を放っている。それなのに私は何を嘆き、何にためらっているのか。この美しい空を、私は胸に抱こう。
そのような内容だった。讃美歌のようにも感じられた。
夕日の沈むところ、夕映えの下にあの世はある、あの紅い雲のうえに亡くなった人たちがいると、ぼくは幼児の頃思っていた。
日が雲海の彼方に沈み行き、全天を染め上げる夕映えを、薬師岳の頂上に腰をおろして、星が出るまで何時間も眺めていたことがあった。
昔、大阪四天王寺の西の門から、大阪湾に沈む荘厳な夕日を拝むことができた。
夕焼け、夕映えは、太古の昔から、人の心に影響を与えてきた。
ラッペはそこに父なる神を観た。シューベルトも神を感じた。
人は老いる。老いてあの世に行く。あの世は「夕映えの中に」あると昔の人たちは思った。現代、老いの八十歳台、九十歳台には、心身の衰えや生活の困難さから来る苦悩もあるけれど、一方で特別な幸福感があるとも言われている。それは人生の「夕映えの中」にある。