風の谷



 古いノートのページに、和人からのメールを記録してあるのが目に留まった。たまにこのノートを開いたとき目にする和人の文章、あの頃の記憶がよみがえる。
 2003年の2月14日、和人は「風の谷」と呼ばれていたところから、メールをくれた。彼は2002年に日本から中国にわたり、東南アジア、チベット、ネパール、インドを経て、「風の谷」に入っていた。自分の足で、大陸一人旅をしながら、アイルランドをめざしていたのだった。日韓でサッカーワールドカップが開かれたとき、一時旅を中断して東南アジアから日本に帰ってきて試合を観戦、大会が終わってまた出発して単独旅を続けた。何度か命の危険にも出会っている。
 2001年に9.11テロが起こり、アフガニスタン戦争が勃発した。翌2002年、日韓でサッカーワールドカップが開かれ、友好平和の機運が盛り上がる。しかし、戦雲は2003年イラク戦争へ拡大、世界情勢は険悪になっていた。和人はそういう中を旅し、ぼくはその頃、中国の武漢にいて、ときどきやってくる和人のメールと交信していた。
ノートに記録したメールは、こんな内容だった。

 <風の谷フンザは、すばらしい村だった。春になれば花や緑がもっとすばらしい景色になるんやろうなと思うと、春に来たくなりました。何がすばらしいか、景色も人情も、人は温厚で親切な人ばかり。ここは今はやりの言葉で言うと、いやされるというのでしょうか。ボケーッとするにはいいところです。
 北へ進めばカラコルムチベット、今日夜行バスに乗って、明日イランに入ります。さすがにこの辺に来るとヤバイなあという感じです。最近もアフガンに空爆があって亡くなった人がいたそうです。ここ3日はイスラムの祝日なんですよ。そんなときに空爆です。
 どうやら今回の件で、アメリカ、イギリスに続いて、悪い国ランキングで第3位に日本は「輝いている」らしいじゃないですか、イスラムの国で。どうやらアメリカの味方やと思われているようです。今までジャパニーズは、アジアで一種のブランドみたいでしたが、今回の件でどうやら人気にかげり。イランで石投げられた人がいたという話も聞いたし、「ほんま頼むで、小泉さん」とか思います。
 政治のことは、これっぽっちも分からんけど、俺の意見では、一言「アホ」ですね。なんでこんなことになってきたのか、分からなくなってきました。詳しい人がいたら教えてください。とりあえずイラン人に責められたら、「俺は君たちの味方、イラン大好き」と言って、白旗振るしかないです。非国民ですか。
 たぶん安全だと思います。根拠はないけど、行ってきます。>

 フンザは、パキスタンの奥地、7000m級の山々がそびえ、4月になると杏の花で埋め尽くされる。バックパッカーには「桃源郷」と呼ばれ、日本人旅行者の間では「風の谷のナウシカ」の「風の谷」のモデルとなったと言われてきた。ここを訪れた人はあまりの美しさに、何日も何十日も逗留するという。
 和人はイランから中東を旅しエジプトまで行ったが、目的地アイルランド行きを断念して帰国した。胸中に何があったか。旅で見たもの、感じたもの、「戦争をめぐる憎悪と憤怒、崩れつつある世界」、旅の継続を断念させたものがあった。
 和人は日本に帰ってきて林業の道を歩んでいた。7年前に会ったきりで、どうしているか分からない。音信なしである。