辻邦生のつづき

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 そして、辻邦生は、「詩への旅 詩からの旅」で書いていた。

 

 「私が信州に暮らしたのは戦中から戦後にかけての時期で、東京から疎開した人々でもなければ、山や谷を訪れる人はいなかった。敗戦で虚脱したあとの数年は、信州の美しい自然は、ただ、むなしい太陽の光にやかれるか、荒涼とした秋の終わりの風に吹かれていた。

 私はそういう、現在では考えられない無人の信州を、それゆえにいっそう自然の美しさを惜しげもなく示してくれた信州を、気ままに心行くまで味わった。

 東京から帰ってくるとき、甲府を過ぎると見えてくる八ヶ岳の姿に、私は何度胸をとどろかせたかしれない。

 列車はあえぎあえぎ煙を吐き続け、塩尻の長いトンネルをぬけると松本平が杉木立のあいだに見えた。

 

 私は今も、学校の裏手の林から、夜明けに聞こえてきたカッコウの声を忘れることができない。雨戸をあけると、畑の向こうに山が迫り、霧がかかっていた。」

 

 どこでもいい。ページを繰ると、心にしみる。今朝は、フィッシャーディースカウの歌う、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」を聴いている。