TV「駅ピアノ」、「空港ピアノ」を観るのが好きでよく観る。構内に置かれたピアノを、いろんな人が自由に弾く。ためらいがちにピアノに近づき弾く人、弾きたくてやってきた人、子ども、老人、学生、親子、友だち、庶民の生活と人生の一コマがそこに現われ、観ていて、聞いていて楽しい。いろんな人の素顔があり、もらされる感想が心に届く。
沖縄の米軍基地の町コザの、ミュージックタウンのロビーに、ピアノを置いた人がいた。それからこのロビーにピアノの曲が流れるようになった。一台のピアノがロビーを変えた。
ピアノの周りに椅子、テーブルがあり、座ってピアノを聞いている人たちがいる。演奏が終わると拍手が湧きおこる。コザはその拍手が多いように思う。さらに特徴的だったのは、沖縄民謡や沖縄語の歌詞の歌が多いことだった。
音楽をやりたくて沖縄を飛び出し、勘当同然に親との断絶があったけれど、親も老いたことで沖縄に帰ってきて、逝った父の弔いをしてきたという男の歌が心にしみた。歌は「ふるさと」。男はそれを沖縄語に替えて、ピアノを弾きながら歌った。
ぼくは、沖縄弁というより、沖縄語と言いたい。もともと琉球国だった沖縄は、薩摩藩に併合され、明治維新で日本の領土にされた。昔から沖縄で伝統的に使われてきた言葉は沖縄語だ。琉球語だ。
併合後沖縄は、差別と搾取の対象となり、アジア太平洋戦争のときは、本土決戦の捨て石にされた。「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の砲撃と爆弾の嵐に、すべてが破壊され、焼き尽くされた。そして戦後はアメリカ軍の基地の島にされてしまったまま今に至る。日本政府は、なおも沖縄を米軍基地の島にして、サンゴの海を埋め立てて基地をつくっている。