日本語と出会う

 スロベニアからやってきて高橋さんの家にホームステイしていたハニさんが、昨日日本語教室に姿を現した。すらりと背が高く、昨年よりすっかり大人びて、あごひげがうっすら黒い。今年19歳になる。再び日本にやってきたのは、日本の大学を受験するためで、京都の大学をめざしている。高橋さんの家にホームステイしたのは高校生のときだった。
 「日本が大好きです。日本をもっと勉強したい」
 さらにアジアを勉強したい。
 スロベニアという国はどこかというと、旧ユーゴスラビア連邦の一共和国だった。西はイタリア、北はオーストリアと国境を接する。
 京都の大学に進学が決まれば、アルバイトをしながら勉強するつもりだ。
 「家が裕福ではないから、アルバイトして。今はもうシェアハウスで暮らしています」
 シェアハウスには、学生二人と働く若者四人がいる。日本人と一緒に暮らすから、日本語の勉強になる。
 「京都は京都弁だけどね」
 「はい、でもシェアハウスの人は京都弁ではないから」
 「他から京都に来た人ですね。私は大阪出身ですよ」
 「え、大阪ですか。私、大阪の人が大好きです」
 大阪が好き? やはりそう思うんだなあ。どうして? ぼくは大阪弁をいくつかしゃべる。
 「そうそうそう。大阪の人は、ヨーロッパの人と似ています」
 率直にものを言う。ユーモアがあって、人を茶化して、どろくさくて、気さくで、人と境目をつくらない、近い感じがする。彼はうまく説明できないが、なんとなくそういうところが好きだと言った。
 「京都の人と大阪の人と、距離は近いけれど、ちょっと違う」
 京都に住んでまだわずかで、そんなことまで分かるのかい。外国からやってきて、日本と日本語に出会って、日本を勉強したいと思う頭脳のアンテナがキャッチするものは、日本人自身が自分たちをとらえるより鋭いものがあるのかもしれない。
 「リービ英雄という人、知ってる?」
 「いえ、知りません」
 そこで、ぼくはリービ英雄の話をした。
 アメリカ人、リービ英雄は日本に来て、日本語が好きになり、のめりこんでいって万葉集に出会う。万葉の里、明日香、山之辺の道、大和路を、万葉集の文庫本をもって散策し、彼は日本人以上に、古代の大和を心に感じた。
 リービ英雄が書いている。
 <日本語の作家になる前に、僕はアメリカで日本文学を研究していた。日本語の書き手になる前に、まずは日本語の読み手だった、そして読んだ日本語で感動を覚えるとそれを英語に翻訳することもあった。現代から始まって、そこから時代をさかのぼり、古い日本文学も、少しずつ、読めるようになった。そしていつの間にか『万葉集』にたどりついた。『万葉集』にたどりついた時、「古い日本語」というよりも「とても新しい文学」に出会ったという不思議な感じがした。それだけ『万葉集』は新鮮だった。『万葉集』は昨日書かれたかのように、「新しい」言葉の表現として、僕の目に入った。だからだろうか、『源氏物語』以上に、松尾芭蕉の俳句以上に、僕に最高の感動を与えてくれた日本文学は『万葉集』だった。そして『万葉集』を読み進めているうちに、日本だけでなく、世界の古代文学の中で、これだけのスケールの大きさと、多様な表現からなる叙情詩集は、果たしてほかにあったのか、と考えるようになった。>
 リービ英雄は、『万葉集』は、世界に例を見ない、詩歌の集大成だと思うようになる。彼は、『万葉集』にとりつかれ、全部を写経のように書き写し、さらに英語に翻訳し始める。その営みは新たな発見の連続となった。
 <日本語そのものが初めて文学の言葉になった時代の、またかまたかと驚く新鮮さに触れ続けて、「古典」としての日本語よりも、むしろ可能性としての日本語に目覚めたのである。>
 スロベニアから来たハニ、京都でどんな出会いがあるか。毎日毎日が新鮮な発見の連続となるだろう。楽しみなことだ。