「安曇野スタイル2013」探訪

 ユーちゃんが4日間のホームステイでやってきた。昨日夕方、駅まで車で迎えに行ったら、薄暗がりの駅頭に小柄な彼女の姿が、改札から出てくる客たちにまじって見えた。
 車が走り出したとたんに、彼女のおしゃべりがはじけた。
 家内は、イベント「安曇野スタイル2013」で、「柿渋工房 邂」を訪れてきた人たちの接待でさんざんおしゃべりした。そこへユーちゃんが加わり、家内のおしゃべりが倍々増、笑い声も倍々増。
 ユーちゃんは若い頭を回転させて話す。その変化と展開は変幻きわまりない。何より記憶が抜群だ。ぼくの中学時代や高校時代の級友の名前を全部言えるかとなると、いったい何人の名前が出てくることやら。ところがユーちゃんは、順番に姓名を見事に思い出す。何という記憶力かと驚く。
 ぼくが過去の話をするとき、人の名前がすっと出てこず、あの人、あれあれ、と代名詞が何度も出てくる。確かに思い出す力が衰えている。
 10年前、中国武漢にいたとき、雲南省へ冬と夏の2回、旅行した。2回目はユーちゃんも一緒で家内と3人の旅行だった。ユーちゃんは、中国の大学で中国語を学んでいた。
 3人は、世界遺産に指定されている麗江からさらに奥地、チベット高原につづく梅里雪山の見える村を目指し、古ぼけた長距離バスに揺られて、途中いわゆるシャングリラと呼ばれていた別天地のジョンディエンに入った。
 その時のことをユーちゃんと話していると、記憶力抜群のユーちゃんには思い出せず、逆にぼくは覚えていた記憶があった。
 それはジョンディエンの街の裏通りの空き地で、ユーちゃんが太極拳を練習したときの記憶だった。ユーちゃんは、太極拳の偉い先生に習っていた。80歳だったか、太極拳を極めた老師は、熱心に習うユーちゃんを特別な期待をこめて鍛えた。日本に帰ったら、日本で太極拳の真髄を伝える芽になれ、そうして学んだ技のひとつに剣を使うのがあった。チョンデンの街の裏通りに空き地を見つけた彼女は、持参していた剣を取り出し、それを右手に持って、ゆるやかに舞うように、時に鋭く気合を入れて、技のひととおりを練習した。
 そのときの記憶をぼくが話すと、ユーちゃんはまったく覚えていないという。それとは逆に、その夜チベット族のレストランに入ったときの記憶を、ユーちゃんは思い出した。何人かの客たちが丸く椅子を並べて椅子取りゲームをしていたと言うのだ。彼女は情景を鮮やかに覚えていた。しかし、ぼくの記憶の中からまったく引き出せない。
 目の荒いざるに入れた豆がざるから落ちこぼれていくように、残る記憶と残らない記憶がある。若い人のざるは目が細かく、年老いた者のざるは目が荒い。
 今朝、「安曇野スタイル2013」に加盟している人たちの工房やお店のいくつかを見学したいと、ユーちゃんは希望したので、今日はまず、穂高の旧家、赤沼家へ案内した。築120年の古民家、その座敷でガラス細工や陶芸の店を出している数組がいた。福島支援のため、福島の米と蜂蜜なども販売していた。座敷から見る庭は、秋の庭らしく紅葉が映えている。
 次にそう遠くないところで、椅子などの木工細工を自作している若い人の家に寄った。家の前に小さなテントを張り出し、椅子の作品は二脚、納屋に置かれていた。すぐれた木工細工を見ると、自分の制作意欲がかきたてられる。
 世界の雑貨を集めている「作家屋」が近かったので、立ち寄った。林の中の小さな店にあふれるばかりの雑貨が置かれている。店のおばさんは、何度行っても、ぼくを覚えていないという。ところが、昨年、「柿渋工房・邂」から来てくださった人がいたと、家内と友人のことを覚えておられた。印象に残る人と残らない人がいるのだろうか、記憶にはばらつきがある。店の中で赤いホーロー製のコーヒーポットを見つけて買った。工房の薪ストーブの上において湯を沸かしたり、コーヒーをいれたるするのにいいなあと思う。ヨーロッパのオランダかどこかその辺りの国の製品ですと、おばさんは言った。ユーちゃんは、同じメーカーのホーローのマグカップを買った。自分用ともう一つ、プレゼント用に、思いをこめて。