服に染み付いた焚き火の匂い

 仕事着を着ようとしたら、焚き火の匂いがぷんとした。昨日の焚き火の匂いが服に染み付いている。錆びた古い一斗カンの下に小さく空気口を開けて、昔から冬などに大工さんらがよく木っ端などを燃やして体を温めているもの。昨日、それにイチイの枯れ枝を入れて燃やした。仕事着の匂いはその火の匂いだ。服に染み付いた焚き火の匂いはいい匂いだ。桜の落ち葉の焚き火、柿の落ち葉の焚き火、桂の木の落ち葉の焚き火、それぞれ香りがあるだろう。イワオさんからもらった桜の木の枝をチップにして、燻製をつくってみようと残してあるが、まだ一度もつくったことがない。桜の木でつくった燻製は最高の香味なのだが。
 今はもう山で焚き火をすることはなくなったが、沢登りで幕営地したとき、川原で流木を燃やして、火を囲んで歌った日々がなつかしい。キャンプファイアの火にも香りがあった。
 焚き火とは別に、木には木の匂いがあり、山には山の匂いがある。建築材のヒノキは好きな香り。山のなかで、ぼくの好きなのはモミ類の木々の香り。黒部の沢筋に入るとこの香がつんと来る。イチイ、コメツガ、シラベ、モミなどの針葉樹だ。この香りをかぐと、心身に清新の気が満ちる。北アルプスの尾根に生えるハイマツもいい匂いだ。針葉樹には刺激性のあるきりりとした香りがある。
 昔の農家には香りがあった。子どものころ、母方の実家が農家だったから、そこに行けばその匂いをかいで、これはワラの匂いだと思っていた。実家のある河内では、へっついさんと呼ぶかまどで、おかいさん(茶粥)を炊き、ごはんを炊いていた。燃料は稲ワラで、一握りのワラ束をくるりと丸めて一重に結ぶと、へっついさんに放り込む。ワラはたちまち勢いよく燃え上がる。御飯を炊くときは、かまどの前に座って、しょっちゅうワラを放り込まねばならなかった。ワラの匂いも好きな匂いだ。稲刈りしてはざに架けて干す作業ではワラの匂いに包まれた。
 大和の国の寺々には寺の匂いがあった。本堂に入ると、御香の煙と香りに包まれ、しんと静かな心になった。東大寺三月堂の日光菩薩月光菩薩にお会いしたくて、天平がよみがえる早朝にお参りしたことがある。読経する僧侶の袈裟に、染み付いた御香の香があった。堂内に煙をたなびかせる線香と焼香の匂いは、心身を安らかにしてくれた。
 タイのチェンマイのお寺ではお箸ほどの太さの香を焚いていた。家内の兄がその地で亡くなり、急遽家内とタイに飛んで荼毘にふしたのは14年前のことだった。タイのお寺にも香の香りがこもっていた。
 古本屋の匂いも好きな匂い。東京の神保町の古書籍街をのぞいて回るのは楽しい。臼井吉見の「安曇野全5巻」を見つけて購入したときは、ほくほく喜びが湧いた。古本の匂いは、古くなった紙とインクの匂い、降り積もった長い年月の匂い。