いのちがけで歩く

          糸瓜

 初めてできた糸瓜、良子さんがくれた一本の苗から、カボチャほどのどでかい実が四つもできている。冬瓜(とうがん)も、長さ40センチ以上のでっかいのができた。汁物に入れて一本食べた。やわらかく、とろけるようだ。
 観察し忘れていたら、ズッキーニも巨大なのが見つかった。巨大過ぎて味のほどはどうか分からない。
 草ぼうぼうのジャガイモ畑、芋はごろごろ入っており、既に収穫期なんだが、まだまとまった時間が取れず、そのままにおいてある。あさって収穫しよう。大玉トマトは大きくなってきているものの、まだ赤く色づかない。ミニトマトは食べ始めている。トウモロコシは虫の被害が出てきた。朝ごはんに取り立てトウモロコシを蒸して食べている。収穫して5時間以内は甘くておいしい。ピーマンは肉厚でこれまた豪快な味だ。
 草を刈る、草を引く、草を削る、けれども、一日雨が降ると、大地から湧き上がるように草の海。

 夕方、太陽の熱射がやわらかくなり、みよ子さんがマミを連れて帰ってくる。
 「いのちがけで歩いてるだ」
と言う。
 えーっ、いのちがけ? そうか、いのちがけで歩いているのだ。すごい覚悟だ。
 脚力が半分なえてしまい、痛くて歩くのが困難な状態になっていた。だから、マミの散歩は隣組のミヤさんが代わってやってくれていた。ところが、そのミヤさんも脚が痛くなって、マミを散歩に連れて行けなくなった。
 「ミヤさんのお世話になってきたけど、ミヤさん行けないとなると、自分が行くしかないだ。神様の思し召しだね。神様が歩くようにしてくれただね」
 そして、みよ子さんは、「いのちがけ」で歩き出したというわけだ。痛くてつらいことだけど、ぼくの眼には軽やかに見える。だから、脚が軽やかだよ、若い力を感じるよ、とぼくは励ます。みよ子さんの年は80を超えているけれど。
 「昨日夕方、みよ子さんがマミを連れて散歩に行ってるとき、たずねてきた人がいましたよ。みよ子さんが散歩に出かけたと知って、約束してあったのに出かけるなんて、と言ってたよ」
 ぼくはその女性が、ぷりぷりしてぐちっているのを見て、その女性にマイナスの印象を持った。またなんぞ、みよ子さんに押し売りしようとしているのじゃないかとかんぐったりもした。
 「ああ、あの人、友だちだよ。ご飯一緒に食べる約束してたんだよ」
最近ずっとご飯が食べられなくなっていた。一人でいると、ぜんぜん食べる意欲がわいてこない。その友だちに言うと、火曜日は開いているから、毎週火曜日、一緒に食事しようと言ってくれて約束をした。自分より若いけれど古い友だちだと言う。
 「昨日は時間が早かったから散歩に行っただ。一人でいると食事もおいしくないし、何も食べたくないし」
 見かねた友だちが誘いに来てくれた。そういうことだった。安心した。
 みよ子さんには子どもはいない。御主人は10数年前に亡くなられた。高齢者一人暮らしの孤独はせつない。このごろぼくもみよ子さんに声をかけたりすることが出来ていなかった。
 社会がばらばらになり、みんなが引きこもる様相が進んでいる。たった一人で生きる暮らしは寂しく切ない。