[愛犬と暮らす] 危篤のマミ


 ミヨコさんが泣いた。
「マミが死にかけている。何も食べないよ。立つこともできないよ。」
 マミが危篤だという。毎日散歩に連れて行ってくれた近所のミヤさんが、よだれを垂らしてよたよたするマミを犬小屋に入れた。
マミは犬小屋の毛布の上に横たわった。
 二三日前まで、マミの吠える声が聞こえた。その時は元気だった。気温が下がり、冷えが地面からしみてくる日が来て、
マミはとつぜん力が尽きた。
「やせて、やせてねえ。がりがりだよ。」
 ミヨコさんはしゃがみこんで泣く。
「私がこんな体になっているときに、マミがこんなことになって。」
 私が逝くか、マミが逝くか。ミヨコさんの体も弱りきり、やせ細り、散歩にも出かけられない。
 そんなときにマミが逝くのか。
「よく、がんばったねえと、頭をなぜてやっただよ。」
 今晩、一夜を越せるかどうか。十数年いっしょに生きてきた相棒が旅立つ、その寂寥感がしんしんと身を包む。
 翌朝、ミヨコさんは早起きして犬小屋をのぞいた。マミは息をしていた。でも食べない。ミヤさんも朝一番に見に来た。よかった、生きている。
 ぼくはミヨコさんを気遣って、そっとしておいた。隣に住むぼくだが、命を閉じていくものの気配をそくそくと感じる。そっとぼくは犬小屋をのぞきにいくが、動くものが見えない。哀しみが胸を浸す。
 三日目、ミヤさんはマミを、陽の当たるところに出してやった。垣根の外の畑の方に。
 元気なときはいつもそこに寝ていた。
 夕方、奇跡的な光景を見た。ミヤさんがマミを連れて、ミヨコさんの家から出て来たではないか。マミはよたよたおぼつかない足取りで歩いては止まる。それでも、歩いている、歩いている。
「マミが歩いている。おーっ、歩いている。」
 畑から帰ってきたぼくは叫んだ。三十メートルほど歩いて引きかえし、マミは帰ってきて、ぼくとミヨコさんの前を通り抜けていった。ぼくは、それを見ながら、叫んでいた。
「奇跡が起こった。奇跡が起こった。」
 ミヨコさんの話では、ミヤさんが来たときマミは体を起こした。ミヤさんは桑の葉をだしてやると、それをすこし食べた。
 桑の葉とはどういうことなのか、ぼくは聞きそびれた。生葉なのか、加工した漢方薬的なものなのか。
「よく、がんばったねえ。よくばんばったねえ。」
 ぼくはマミに声をかけた。マミの腰のあたりはがりがりにやせて、いたいたしい。マミは、世話になってきたミヤさんに応えて、つらいけれど、力を振り絞って歩いたのだ、けなげなマミ。
 それからまた三日たつ。マミの姿は小屋の中。
 命の火は尽きずに、かすかにかすかに燃えている。