ロシア、ポーランド

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 私がこの10年かけて書き上げた自伝的小説がもうすぐ本になる。「本の泉社」から上下二巻。何回も膨大なページのゲラ刷りをおくってもらい、修正、校正、文章を練ってきた。

 本のタイトルは「夕映えのなかに」。

 このなかに1965年のヨーロッパからシルクロードへの紀行文があり、ぼくはソビエトロシアとポーランドの印象を少し書いていた。

 「モスクワ市内で出会うロシアの民衆は暗い感じがした。壮大なクレムリンの建物、広大な赤の広場に行くと、三百メートルほどの人の列ができている。レーニン廟に参る人たちだ。こんなに列が長かったら中に入るのに時間がかかるなあと思っていたら、列の前の人が手招きして、ここに入りなよ、と声をかけてくれた。廟に入ると、ガラスに覆われた寝台にレーニンは静かに眠っていた。

 あてもなくモスクワの街を散策した。地下鉄は、大阪の地下鉄の三倍以上は深いと思える地下にあり、エスカレーターが長い長い。核戦争に備えてシェルターを兼ねているのだと聞く。

 古い教会があった。入ってみたら人の姿はなく、さびれた雰囲気が漂っている。

 なんとなく街の気配が、暗く感じる。

 ポーランドワルシャワで数日過ごした。ワルシャワも街の雰囲気が暗かった。ナチスドイツ、続いてソ連ポーランドの領土を蹂躙し、ワルシャワを破壊した。大戦後の二十年、人々は歴史的な建物の瓦礫を集め、ワルシャワを復元する息の長い活動を続けてきた。夜の街は人も少ない。ポーランド社会主義国としてワルシャワ条約機構に加盟している。しかしソビエトロシアに対する反感が強い。従属せざるを得ない状況にあるからだ。散策していると、暗がりから一人の若い男が現れた。日本人の青年だ。

 大阪の旭高校を出てワルシャワ大学大学院ドクターコースで学んでいます。今日は私の誕生日で、一人でぶらぶら街を歩いているところで、偶然みなさんに会いました。

 彼はそう言った。

 カフェに入って彼を祝った。カフェも客が少なくひっそりしていた。」

 

 あの当時は、あの当時の、様々な原因があった。それが対立を生んだ。

 今、その歴史を引きずりながら、不毛な対立は戦争にまで発展している。