「地域回想法」の講座は楽しかった


 「子どものころ、どんな遊びをしましたか。」
 このテーマになって、輪になった6人が順に話しはじめた。出るわ、出るわ、このテーマでしゃべりましょう、という時間は20分、それを超えても止まらない。
 子ども時代を山口県岩国の海辺で育った富美恵さんは、夏の海で泳ぎ暮らした。
 「たくさんの漁船がつないであってね、男の子も女の子もいっしょに泳ぎましたよ。舟の下をもぐって、向こう側に出るんですよ。何隻もの舟の下をもぐってね。それから岬まで、100メートルとか200メートルとか、男の子と競争したりして。沖に大島という島がありました。その間に潮の流れがぐるぐる渦を巻いていましてね。その渦のそばまで、すれすれまで泳いでいくんですよ。巻きこまれないように泳いで、巻き込まれたら遠くまで流されるんです。海に引き込まれることはなかったですよ。毎日、そうして遊びました。」
 へえ、そういう危険な遊びもしたんですねえ。スリルがあるからおもしろいんですねえ。
 聴いていた人から感嘆の声が上がる。
 「私は大町で育ちました。私の子どもの頃、母艦水雷という遊びをしましたね。男の子と女の子といっしょにやりましたよ。帽子のつばを前にしたり、横にしたりして、自分が何かを見せるんですよ。」
と久子さん。
 「それ、ぼくもやりましたよ。同じかな。ぼくは大阪でしたが、大阪では駆逐本艦とか言っていましたよ。軍艦なんですね。戦争ごっこみたいなもので、戦後はなくなって、探偵ごっこになりましたね。」
 子どもたちが二つのグループに分かれ、母艦になった子は巡洋艦をつかまえることができるが、水雷になった子は母艦をやっつけることができる。駆逐艦水雷をつかまえられる、とか、忘れてしまったけれど規則があり、それぞれどれかに強くどれかに弱いということになっていて、自分の捕まえられる敵を見定めて広い野原で追いつ追われつ、捕り物ごっこをする遊びだった。
 「信州の山里と大阪と同じ遊びがあったんですねえ。各地の遊びで共通のものがあったということは、不思議ですねえ。今みたいな情報網のなかった時代ですよ。」
ペタという遊びがあった、と久子さんが言う。聞けばメンコだ。大阪ではベッタンだ。ペタとベッタン、似ている。
 「メンコにロウソクのロウをたらして、重くして。」
 そうそう、相手の札をひっくり返したり、すくったりするのに、硬くて強い自分の武器になる札を作ってね。
 木曽の宿場で育ったと言うご婦人は、軒を連ねる宿場の狭い道で遊んだ思い出を語った。舗装道路にロウ石で線を引いて、ケンパをしたこと。石蹴りという遊びだった。家の窓から近所の子の家がすぐそこに見え声も届く。いつも友だちが近くにいた。
 女の子も川遊びが好きだった。泳いで帰るとき、濡れたパンツを川辺で干して乾かしたこと。ぼくは「かわら当て」と自作の技を駆使したコマづくりの話をした。
話はグループの中で盛り上がった。笑いとともに20数分が過ぎると、5つのグループが自分のグループの話を発表する。
 他のグループからこんな話が出た。漆の木だと知らずに枝の皮をむいてちゃんばらごっこをした。その夜、枝でたたいたところがはれてきて、5人の子の3人が、腕も顔も腫れ上がり、翌日学校を休んでしまった。あとで先生からどえらく叱られた。

 これは、社会福祉協議会が主催した「地域回想法講座」の一場面、ぼくはそこに参加し、初体験をし、どえらく感銘を受けた。
 土曜日午後がその講座だった。講師の来島修志氏(日本福祉大学健康科学部助教)が実践しておられる「回想法」との出会いだった。ぼくのブログを訪問してくださった来島氏の紹介で、参加の機会を得ることができた。集まってきていたのは高齢の人たちが中心だが、核となってシルバーの活性化のために活動しようという意識の人たちが多いようだった。やってみてグループカウンセリングに通じるものを感じたが、この方法は、誰もが気がるに話せる、話したくなる「自分の子どものころの思い出」をばねにし、それをみんなに聴いてもらうことによって自己を解き放し、みんなと親しくなっていくという性質をもっていた。
 まず初めに輪になって座った6人、隣の人と握手を交わして自己紹介をし、自分のふるさとはどこなのかを話す。そしてふるさとの我が家の周りの景色を述べ合う。その次に「子どものころの心に残る遊び」を6人の輪のなかで話を出し合う。聴くときは傾聴し、反応する。そうすると心の中に仕舞われていた記憶のおぼろな光景が立ち上がってきて、芋づるのようによみがえってくるものがある。遊びの話はなつかしさをもつものだが、それは同時に現代の社会と現代の子どもたちの情況を浮き彫りにしていくものでもあった。
 女の子も男の子もいっしょに、渦潮まで泳いだという話、川の急流を滑り降り、もぐって泳いだ話、漆の木のちゃんばらごっこ、はだしで遊んだ縄跳び、全部子どもらだけの世界で遊びを創り、いくらかの危険を伴っていたからこそ自然の怖さも認識することができた。遊びを通して何よりも仲間、友だちの強い絆ができた。友から学び、友から力をもらい、友から励まされ、友からやさしさを受け取り、友を想い、友と力を競った、育ちの源泉を発見し確認する回想法であった。今の情況、このままでいいのか、未来はどうなる、未来を担う人間はこの現代社会のなかで育つだろうか、考えはそこへ行く。