ワシーリィ・エロシェンコ <2>

 ワシーリィ・エロシェンコの書いた「ある孤独な心 ―モスクワ盲学校の思い出―」には子どものころの葛藤が現れている。
 彼は4歳のころに失明した。そのころは、色も光もない世界に流れる涙をとどめることができなかった。だが、それをのろっているかと言えばそんなことはないと、アメリカの作家で博物学者だったホークスの言葉を、作品の冒頭で引用している。ホークスは少年時代に片足を失い、15歳で光を失った。
 「真昼の太陽は、わたしに地球とそのさまざまな驚異とをしめしてくれた。しかし、夜はわたしに宇宙や数しれぬ星々やかぎりない空間、全人生のひろがりと驚異とをしめしてくれた。真昼がわたしに見せてくれたものは人間の世界だけだったが、夜は神の宇宙を見せてくれた。夜はしばしばかなしみや失望をもたらしはしたが、しかしわたしはその中に星々の合唱をきいたし、自然を知ることや、自然を通じて神を見ることを学んだ。」
 エロシェンコは9歳のときにモスクワの盲学校におくられた。学校は世間から閉ざされ、外出することは許されず、休暇中も家に帰ることはできなかった。いつも先生の監視を受けていた。エロシェンコは、11歳のラービンと親しくなる。ラービンは、先生の話に疑問を持つと質問をした。先生は、地球は大きいので、たくさんの人がまだまだ生活する場所を見つけることができると言った。それを聞いてラービンはたずねる。
 「そんなに地球が大きいのなら、なぜ私のお父さんは、いくら働いてもひとかけらの耕地も手に入れることができないで、伯爵の土地を借りなければならないのでしょうか」
 それを聞いた先生は、愚問だと言ってラービンを罰した。また先生は、人類は白、黄、赤、黒などいろいろな色の人種にわかれていて、その中で文明の進んだ人種は白色人種で、いちばん野蛮なのが黒色人種だと言った。するとラービンはまた質問した。
 「わたしたちは色が白いから、いちばん文明が進んでいるのですか」
別の生徒が立ち上がってたずねた。
 「夏の間、わたしたちが日に焼けて黒くなったときは、わたしたちも野蛮になるのですか」
 先生は、この二人の質問を愚問だと言って、罰で二人を立たせた。
ある日、学校ちかくの家に中国の外交官である李鴻章がやってきた。学校に関心を持った李鴻章は参観にやってきて教室にも入ってきた。エロシェンコは、李鴻章黄色人種に属する人だと知ると、白色人種と黄色人種の違いを見つけようとして、李鴻章の手に触ってみた。そして先生に質問をした。
 「李さんはほんとうに黄色人種なんですか。ぼくは白色人種の手と黄色人種の手との違いを、なにひとつ見つけることができませんでした」
ラービンがさらに付け加えた。
 「李さんが黄色人種なら、当然あの人はぼくたちより野蛮なはずですが、ぼくは李さんのほうがミハイルよりも、少なくとも親切だと思います」
ミハイルというのは、学校の小使いさんで、乱暴だったから子どもたちから嫌われていたのだった。通訳がこの質問を李鴻章に伝えると、李鴻章は腹を抱えて笑った。しかし、李鴻章が帰ってしまうと、外国の客に対して態度が悪かったと罰せられ、昼食を禁じられた。
 夕食の前、二人はこんな会話をした。
 「李鴻章の手は、わたしたちの校長の手よりも、ずっと気持ちがよかった」
ラービンも声をひそめて言った。
 「李鴻章は、ぼくたちの白色人種の先生たちよりずっとりこうだと思う」
その会話がもとで、先生はひどく怒り、冷たい石の床にひざまづかされることになった。昼食も夕食も食べさせてもらえない二人は、作戦を考え、李鴻章を野蛮な人だといろいろ話を作って批判し、けなし、侮辱する。李鴻章は、自分の利益ばかり考えていて、犯罪人を処刑するのを見るのが好きだとか、黒猫を食べ、白い子犬と毛虫を食べるとか‥‥。食事をすることは許された。しかし二人は食べることをせず、泣き出す。二人は罰をまぬかれるために黄色人種李鴻章を侮辱し、たいへん悪いことをしたと悔いて、自らを罰したのだった。
 「ある孤独な心 ―モスクワ盲学校の思い出―」のなかで、ラービンとエロシェンコの質問は、皇帝という人間はなぜ皇帝なのか、貴族に対してなぜ尊敬したり服従したりしなければならないのか、とさらにエスカレートしていった。そして衝撃的なできごとが起こるのである。それは、目が見えなかったが故に、人間の尊厳を否定する教師たちの論拠を打ち砕くことになるできごとであった。