第八次エネルギー革命 <中沢新一の提唱する『日本の大転換』>



長野県では、今年、薪ストーブを設置する人が増えているらしい。
間伐材を砕いてペレットにし、それを燃料にするストーブも使われているが、まだ普及が広がっている様子がない。
薪ストーブの暖房による輻射熱は、人の体をほんわりと芯から温めてくれる。この辺りでは、間伐材や、リンゴ畑の古木などが薪に使われている。
樹木もまた太陽から贈られてきた光と熱の賜物である。
すなわち太陽からの贈与。そして土壌、水、生命体からの贈与。


中沢新一の論のなかに、こんな文章がある。(『日本の大転換』集英社新書


「経済のもっとも深い基礎には、贈与がすえられているのである。太陽エネルギーと同じように、贈与性がすべての経済活動の根底で支えている。
この贈与性を忘却することによって、交換の経済がすべてを押しのけ、経済活動の前面にあらわれてきた。この状況は、太陽のおこなう不断の贈与を忘却して、化石燃料やウラン燃料を自分の資産として燃やしつづけてきた資本主義の場合と、そっくりである。
化石燃料にせよ原子力にせよ、資本主義に生命を与えてきた燃料からは、贈与性の痕跡が消し去られている。贈与性の忘却の上に、商品経済は稼動しているのだ。」


文明学者アンドレ・ヴァラニャックの人類史では、エネルギーの革命を七つに分類しているという。


第一次革命  火の獲得と利用。火を使うことを発見して「家」というものができた。
第二次革命  農業と牧畜が発達。余剰生産物を生み出し、交換経済が発達。初期の都市が形成される。
第三次革命  「家」の「炉」から冶金の「炉」が発達し、金属がつくられる。火の工業的利用、家畜や風や水力がエネルギーとして発達。金属武器の発達は国家を生み出す。  
第四次革命  火薬の発明。化学反応の速度を高めて、燃える火から爆発する火へ移行。
第五次革命  石炭を利用して蒸気機関を動かす技術が確立。産業革命が起こる。
第六次革命  電気と石油エネルギーの使用。油田開発が始まり、自動車産業がおこる。
第七次革命  原子力とコンピューターの開発。


これらの革命のなかで、資本主義が起こり、市場経済が進行し、収奪がおこなわれ、対立が激化し、戦争が連続した。
そして中沢は、次のエネルギー革命は第八次であるという。
第八次は、太陽エネルギーにもとづく革命である。その根底にあるのは、贈与の原理である。


「農場での生産ばかりでなく、工場での生産も、地球に降り注ぐ太陽からのエネルギー贈与に支えられるこの世界では、経済学の思考にも大きな変化があらわれてこなければならない。
脱原発にはじまる新しいエネルゴロジー革命。資本主義はもはや自己の原理に内閉していることは不可能になり、市場もまた自己調節システムとして内閉していることは許されなくなる。
第八次エネルギー革命の開く経済世界では、その最深部に贈与の原理がセットされ、その上に生産と消費をコントロールする交換の原理が作動することになる。こうして資本主義はゆっくりとその深部から自己変容をはじめ、その変化は、いずれ暮らしと実存の全領域に及んでいくことになる。」


次の時代は、この可能性にかけなければ、人類の未来はないと思える。中沢は、私たちの前方への可能性に自分を開いていくのだと熱を帯びて語る。


「それは単なる自然への回帰でもないし、いわんや文明の後退などをも意味しない。
科学技術にはまだ多くの発展ののびしろ部分が残されている。その発展は、これまで第七次エネルギー革命のつくりだした産業と大学が一体となった体制によって、抑圧されてきた。
エネルゴロジー革命は、この抑圧体制をまず打ち壊さなければならない。
それをとおして、科学技術をいままでとは違う方向に進めていく。それによって、ますます内閉していこうとしている今日の資本主義が、人類の本性に、よりふさわしい形態へと変容していくのを、私たちは手助けするのである。
日本は、それをほかの世界に先駆けて実現していく、またとない可能性を与えられた。大きな惨禍をきっかけとして、エネルゴロジーの革命は、この小さな島弧で起こることになるだろう。私たちはすべての先入観を捨てて、自分の前に開かれている未知の道に、勇気をもって踏み込んでいかなければならない。」


個人が設置する太陽光発電、地域が管理する風力発電バイオマス発電など、自然エネルギーの贈与を受け取り利用するシステムが、国レベル、産業界レベルだけでなく、地方自治体やもっと小単位の集落のなかでも生みだされていく、そのビジョンがいまこそ必要なのだと思う。


市民のなかから自然エネルギー活用構想を生み出し、エネルギーを市民で生み出していく、それは夢物語だろうか。


          ★      ★      ★