リービ英雄の見たアメリカ、そしてオバマ <2>


 リービ英雄アメリカと中国という大陸に君臨する二つの国と日本を行き来する。リービの足が向かうところ、リービの眼が注がれるところ、それはその国の底の部分。

 「バラック・オバマが大統領に当選したのは、リンカーン奴隷解放宣言から140年ぶりの大きな出来事である」、と言った黒人の学者、アフリカン・アメリカンの研究第一人者であるハーバード大学、ヘンリー・ルイス・ゲイツjrの逮捕事件が起こったのは、オバマが大統領になってしばらくしてからだった。
 ゲイツ氏が中国での会議を終えて帰国し、自宅の扉を開けようとすると、何かでドアが開かなくしてあった。勝手口から入ったゲイツを待ち構えていたのは警察官だった。「お前は、おれが黒人だからこんなことをするのか」、ゲイツは激昂する。警官は彼を表の公道まで誘い出し、激しく抗議するゲイツ氏を公衆の面前で逮捕し手錠をかけて連行した。逮捕の口実は、「公の場での乱れた言動」を処罰するマサチューセッツ州の刑法によるものだという。この事件がアメリカで大きな論争を呼ぶこととなった。オバマが大統領になっても差別は厳然と残っており、オバマは根深いアメリカの深い闇と次々と直面することになる。
 オバマの政策が間違っているとか、オバマは左翼イデオロギーの持ち主であるとかという攻撃だけでなく、オバマが正当にアメリカの大統領であるという事実そのものをも否定するような発言がテレビで連発される。オバマの演説中、共和党の議員の陰湿なヤジが飛ぶ。「うそつき」。
 リービ英雄は、高校生のときに住んでいた街に行った。あのデパートで抗議した日系人夫婦が住んでいたところだ。日系人夫婦は両親の親友であった。リービ英雄の英雄という名は、広島出身のその夫の名前「ヒデオ(英雄)」をリービが生まれたときにもらったものだ。リービが高校生のとき、その家に3週間ほど泊めてもらったことがある。ある日、一人で居間にいて、ふと見ると部屋の隅に木のドアがあった。リービはそれを開けてみた。すると地下室に向かう階段があった。
 翌日、奥さんから地下室についてこんな話を聞いた。昔、まだ奴隷が南部で使われていたころ、そこは南部から逃げてきた黒人奴隷をかくまう地下室だった。世間に知られないようにかくまい、夜遅くなると次の別の隠れ家へ送り、何百軒と送り伝えて北の安全な地域に脱走者は到達することができた。19世紀の良心的白人の地下組織がつくった地下室だったのだ。その地下室に名づけられた名は、「地下の鉄道の小さな駅」であった。
 この部分を読んだとき、ぼくはベトナム戦争のときの、脱走兵を支援する日本の秘密活動を思い出した。1960年後半、小田実らの「ベトナムに平和を市民連合」から生れた「反戦脱走米兵援助日本技術委員会」はアメリカ軍の「良心的脱走兵」の逃走支援を行なう。米空母イントレピッドから脱走した兵士4人は、日本の市民の家にかくまわれ、国際的な連携支援によって国外に脱出し、スウェーデンに入ることができた。それが反戦米兵脱走支援の始まりだった。ぼくがかつて生活した「丘の上の村」にも、そうした脱走兵をかくまったという歴史があった。
 アメリカの黒人奴隷の脱走支援の地下組織、アメリカの反戦兵士の脱走支援の地下組織、時代と国をへだてて、良心的市民による抵抗活動が存在した。
 この民主主義の国アメリカの姿、リンカーンケネディを襲った闇がいまもある。