今朝は氷点下9度

朝起きたら、部屋は冷えに冷えていた。パジャマから着替えるとき、裸の体に感じる寒さが、体に影響を与えているなと感じる。鼓動の反応が少し気になった。温度計を見ると寝室は1度だった。居間は0度。外壁に這わせて室内に引き込まれた水道管は、断熱材が巻かれ、中に電気が通って暖める装置が入っている。その電気のコードのプラグがコンセントに全部入っているか、念を入れて確かめてみた。大丈夫のようだが、どこかで忘れていたら、水道管が破裂することもあるから、要注意だ。今年の2月、工房のトイレの電気が入っていなくて、水洗の水が凍ってウォッシュレットがつぶれてしまったこともあった。ランと散歩に出るとき、ガレージの温度計はマイナス9度だった。道路は昨日の雪がカリカりに凍っている。それでも小鳥は飛んでいる。
人間の追求する快適なシステムは、複雑な技術で作られていて、その複雑系のどこかが壊れると、たちどころに生活すべてに影響する。「ネズミが電気のコードをかじって切っています」、こう修理に来た工事の人は言った。室内暖房機が動かなくなったからメンテナンスの人に来てもらったときのことで、2年前だった。原因を調べるのに時間がかかり、そして最終的に費用がかさんで困ってしまった。
昔の家の生活はもっと寒かったろう。家事は冷たくつらかったろう。家の内外の気温はそんなに変わらなかったろう。それでもシンプルな生活は、複雑なシステムの故障の原因探しと修理に時間と労力のかかる現代よりも、安心できた。そして何か問題が起きれば、だれでも対応できた。ぼくの子どものころのお手伝いは、夕方七輪に火をおこして豆炭を真っ赤にし、それをコタツの灰に入れ、寝床に運ぶことだった。火鉢や囲炉裏に火をおこし、火の回りで団欒し食事もする。しかし、たしかに寒さは身に応えた。冬はしもやけがひどかった。赤くはれた手の指、足の指もしもやけになり、かゆくてたまらない。夜ふとんのなかで、かゆい足の指をこたつの熱いところにくっつけて、かゆみを止めようとした。針で刺して、血を出して、治そうとしたこともある。今はしもやけも、あかぎれも、見られなくなった。それは住環境がよくなったということ、服装と栄養がよくなったということが原因に挙げられるが、もうひとつ、子どもが外で遊ばなくなったことが大きい。暖かい室内でほとんど生活する現代の子どもに、もうしもやけはない。『子どもは風の子』と言われ、冬の子どもが、タコあげ、コマまわし、タケウマのり、羽根つき、メンコ(ベッタン)などに興じる風景は、消えてしまった。冬の田んぼには、秋に刈り取ったワラが円筒形に高く積まれたワラ塚があった。それは冬野に点々とあり、凧揚げするとき、ワラ塚の南側に立つと、北風が当たらず、日が当たって、温かかった。ワラのいい匂いがした。村の子どもはそこで、ぶんぶん鳴る凧を競った。

 奈良の友人が電話の向こうでこう言った。この前、トンネル事故があっただろう。劣化だ。劣化が起こる時期なんだ。今やトンネルも橋も、高度経済成長期につくられたものが、もろくなっている。あのころ造られた、黒部ダムが崩壊したらどうなる。起こらないとは言えないぞ。起これば、ダムの水は奔流となって下流を襲う。いたるところで、そういうことが起こる時期に来ているぞ。

友はそう言った。折りしも、敦賀原発の直下に活断層があり、敦賀原発廃炉になる公算大というニュースが出た。この危険極まりないものが、エネルギーを得るために、危険に目を瞑って造ってきた。メンテナンスなんかで処理できるものではない。
バベルの塔の崩壊が始まる。