人の美意識

先日のシンポジウム(テーマ『安曇野在住の若手世代による安曇野の未来とわたしの夢』)で、小学校教員の圭さんが、故郷を愛し、故郷に根づく子どもたちを育てたいと語ったこと、その後のグループ討論で、二人の年配の方が語られたこと、そのことに関連して考えた。
おそらく還暦を過ぎておられるだろうとお見受けした二人の方は、数年の違いはあるが同じ小、中学校で学んだ同窓生であるようだ。
一人の方は、故郷を出て都会に住み、たくさんの諸国を巡ってきた。余生は再び故郷で暮らしたいと戻ってきた。
「街も里もすっかり変わっていたが、北アルプス梓川のせせらぎは昔のままだった。それらを眺め、せせらぎの音を聞いていると、子ども時代の記憶がよみがえり、その自然の命が自分の血の中にも流れていることがよく分かった。子どものとき、夏の梓川で泳いだ。川に着くまで、キュウリ畑、スイカ畑、トマト畑を通っていく、そのついでにそれらをこっそり採ってもらっていって、川に着いたらそれを食べ、喉がかわいたら、河原の砂を掘って湧いてくる清水を飲んだ。冬になれば、拾か堰(江戸時代につくられた農業用水路)の水が凍り、そこで下駄スケートをして遊んだ。」
泳いだ清流の冷たさや、すがすがしさ、畑からもいで食べた野菜のおいしさも、体が覚えている。
もう一人の人はそれに反応された。
「今は子どものいたずらが無くなってしまった。私などは勉強はろくにしなかったが、いたずらや冒険はたくさんした。今ではそれが禁止され、できないようにされてしまった。」
子どもたちの心と身体の中に残って生き続けるのは、この心身に体験した自然であり暮らしである。それがその人の美意識に影響している。
何を美しいと感じるか、何を豊だと感じるか。
環境の中の何がその人の心を養うのか。


1993年に公布された、神奈川の真鶴町の「まちづくり条例」は、「美の条例」とも言われた。
美しい町が、開発によって滅びていくことを防ごうと、町が広く意見を聞いて条例を制定したのだった。
その条例に「美の原則」がある。


1、場所  建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない。
2、格づけ  建築は私たちの場所の記憶を再現し、私たちの町を表現するものである。
3、尺度  すべての物の基準は人間である。建築はまず人間の大きさと調和した比率をもち、次に周囲の建築を尊重しなければならない。
4、調和  建築は青い海と輝く緑の自然に調和し、かつ町全体と調和しなければならない。
5、材料  建築は町の材料を活かしてつくらねばならない。
6、装飾と芸術  建築には装飾が必要であり、私たちは町に独自な装飾をつくりだす。芸術は人の心を豊かにする。建築は芸術と一体化しなければならない。
7、コミュニティ  建築は人びとのコミュニティを守り育てるためにある。人びとは建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。
8、眺め  建築は人びとの眺めの中にあり、美しい眺めを育てるためにはあらゆる努力をしなければならない。


『失われた景観 戦後に日本が築いたもの』(松原隆一郎 PHP新書 2002年)のなかで、真鶴町の条例について考察した筆者は、

「これまで日本の景観は、都市計画家や行政など一部の人びとによって論じられ、
しかし現実には経済の趨勢によって形作られてきた。
それに対して日本における景観の崩壊理由を経済や法の特質までさかのぼって分析し、政治論や認識論を駆使して対案を提起した点で、真鶴の条例は衝撃的であった。」

と述べている。    
先進的な実践には反動がつきものである。真鶴の場合もそうだった。条例制定後も批判がある。
建築の自由が規制されねばならない根拠として、建築物は誰もが見ること、使用することを強制されることから、所有権のもつものの無制限な自由はありえない。だが、基準となる美や法的規制については議論が続く。
「景観を維持し、発展させるのは条例ではなく、文化や政治、経済を貫いて条例を支える精神である。『美の基準』を実現するには、住居参加の手続きを形式的にうたうだけでなく、『基準』の精神を町民に地道に根付かせ、しかも外来の客にも魅力あるものと思わせなければならない。条例が息づくためにはそうした困難な運動が求められている。」

地域の自然と風土の美を守り、住民が誇りにし愛する故郷を保全するには、開かれた住民の論議と努力が必要であることを、真鶴は教えている。
安曇野が抱えている問題は、まずもって問題となることが問題とならないように、成り行きに任す意識が作用してきたことではないかと、思われもする。