若い世代が語った、『安曇野の未来とわたしの夢』


 

 日曜日、望三郎君とその仲間が企画した集会に行ってきた。
 会場は豊科交流学習センター。シンポジウムは、テーマ『安曇野在住の若手世代による安曇野の未来とわたしの夢』。
若者たちの集会だから入場するときちょっと気を使うなあ、と思っていたが、会場内に入ると、これはまあ60人ほどの参加者の半分は年配の人、
20代の姿は見えない。とたんにこれまでのぼく感じ方が変わった。若手の人たちが何を語るか、何をしようと考えているか、それを聞きたくてやってきた年配の人たち、このパッションはすごいじゃないかと。
 望三郎君たち主催者の若い世代は、若いと言っても30歳代、40歳あたりだが、彼らは社会で活動してきて、それなりの経験をつんで、そこから社会を見て思うこと考えることがあり、それを社会に発信していこうとしている。そこで、彼らは何を感じ何を発信しようとしているか、それを聞きたいと思う年配者が、後世に語り継ぎたい自分の思いを抱いて、このシンポジウムに集まってきたとすれば、これはすごいことだ。このような集会はきわめて珍しい。
 発表者9人は、会場正面のスクリーンに映像を映しながら語った。
 農業、観光、福祉、子育て、教育、市民運動、まちづくり、政治など、一人ひとり自分の今までやってきた仕事や活動をテーマに自分の言葉で彼らは語る。その中に、震災後安曇野に避難してきて、その後この地に移住してきた人もいた。
 有機農業でリンゴをつくる暁生さんは、有機農業を支援する世界的な組織「ウーフ」の会に所属し年間約90人の、国内海外からの旅人を受け入れて、金の介在なしで旅人のホームステイと旅人からの労働支援を得るという相互の贈与関係をつくっている。このシステムを安曇野に広げていければ安曇野の農業はどうなるだろうと夢を語った。
 福祉施設勤務の英三さんは、市民による福祉活動の自給自足こそ、贈って楽しく受けてうれしい持続性のある福祉になると自分の介護の仕事を通じて膨らんできた夢を語り、子育て中のはる奈さんは、今行なっている母乳育児のサークル活動をひろげて、育児中の母親たちが、おしゃべりを楽しみ、手作りのおいしいものを食べ、いつでも一時的に我が子を預かってもらい預かってあげる、そうして世代間の交流ができる、そんな相互支援のコミュニティをつくりたいと語った。
 小学校教諭の圭さんは、学校で教えている子どもたちが将来この故郷を愛し、この地で一生暮らしていきたいと思えるようなそんな子に育っていってほしいと、子どもたちが自分たちで郷土の良さを調べて発見していく教育実践をしている。子どもたちが学校を卒業していった後も、同窓生たちがつながりを保持して安曇野に生き続けるしくみをつくっていきたい、厳しい少子高齢化社会の到来を前に、郷土に根づく人間を育てたいとユニークなアイデアを語った。
 3.11の後、安曇野に移住してきた理恵子さんは、震災後にこの地に来たことを移住と表現されるが、自分は移住とは考えない。「再土着」であると言う。物質的な面での移住ではなく、精神的な面でこの地を選んで再土着する、それを可能にしたのがここで生活した最初の体験だった。望三郎君の地球宿とその支援者たちは、たくさんの被災地からの避難者を受け入れてきたのだった。
 由紀子さんは、18年前大阪からやってきて、この地で子育てをしながらペンションを開いている。今では有名な秋のイベント「あずみのスタイル」を立ち上げてその代表を勤めてきた人だ。由紀子さんの小学6年生の子どもの野性的な育ちがおもしろかった。その子の夢は、将来「焼き芋屋」になることで、その夢を語ってから子どもは夢実現に動き出し、どこかから自分で古いリヤカーを手に入れてきて修理し、自分で畑を交渉して借りて、130本のサツマイモの苗を買ってきて植え、イモが採れるとブリキの一斗缶をどこかからもらってきて、それを焼き芋を焼くかまどにして、秋のイベント「あずみのスタイル」開催日にイモを焼き、200本完売したという。由紀子さんの夢は、観光というのは、見るだけが観光ではなく、何がそこでできるか、その体験にこそ観光の真髄はある、それをやっていきたいというものだった。
 孝夫さんは、市民運動の体験から語った。彼もIターンしてここに住んだのだが、彼自身はアイガモ農法など有機農業にどっぷりつかってやりたいと思っていたにもかかわらず、降って湧いた「災難」、リンゴなどの果樹栽培地帯に業者が産業廃棄物の処理施設を建設してしまった。住民たちを無視したやりかたに孝雄さんたちは立ち上がり、安曇野の農業と水、暮らしを守ろうと、被害防止と建設計画指し止めを求めて行政闘争と裁判闘争を続けている。彼にとってこの体験は、民主主義を体を張って実現していく運動になっている。バラ色の夢なんてない。それをつくっていく市民の行動と連帯なくして、夢は実現しない。その熱い思いを語った。


 第二部は、九つのグループに分かれ、それぞれの発表者を囲んで語り合うグループの談論だった。ぼくは圭さんの教育のグループに入った。ここでも年配者の発言が多かった。故郷に根づく子どもたちを育てたいという圭さんの話、そのことで安曇野出身で他県や外国にいて、再び戻ってきた人の話しがおもしろかった。山や川、空、雲、その自然が自分の血の中にも流れている、ここに帰ってきてそのことがよく分かった、子どもたちの中に、この自然こそが生き続ける。子どものとき、夏の梓川に遊びに行った思い出、川に着くまで、キュウリ畑、スイカ畑を通っていく、そのついでにそれらを食べる分だけ黙ってもらっていって(それは盗みとは思わなかった)、川に着いたらそれを食べ、喉がかわいたら、河原の砂を掘る、すると清水が湧いて来る、それを飲む。そして川の中で泳いで遊んだ。
 安曇野生まれのもう一人の年配者が、その話に呼応して話した。
 今の子どもの生活に欠けているのは「いたずら」だ。私たちの子ども時代は、「いたずら」をし、叱られ、勉強なんかほっぽらかして山や川や野で遊んだ。その体験が人を育んだ。その環境は全くなくなってしまった。過度の安全対策は、子どもの冒険、いたずらを奪い取り、皆無にした。そして子どもの姿は野から消えた。
 「いたずら」は子どものエネルギー涵養であり、学びである、「いたずら」や遊びを封じ込めないでやれる場を取りもどすことだと、ぼくもまた共鳴する。
 故郷に根づくには、どんな環境でどんな子ども時代を送ればいいか、考えるところは多い。
 Uターンの彼がぼくに聞いた。
 「あなたの出身はどこですか。」
 「大阪です。」
 「やはりね。こういう活動をしている人は、よそから入ってきた人がほとんどです。元からここで暮らしてきた人が少ないです。」


 第三部は夜にかけて地球宿に会場を移して、集会は続いた。