日本は大きな転機を迎えている

      <多くの人が予感し、考えている>



数軒の農家を訪問し、動きをつくれないかと、意見を聞いてまわっている。
減反をなくし、すべての耕作地を活かして、被災地を救援しよう。
被災地の人たちを受け入れて、農業生産にたずさわってもらい、農業を変えていこう。」


ある農家の居間で話し合った。
ある家では、
「よいことだけれど、減反して、そこで生産した農産物を被災地に送るという運動は、農政のテーマだから、やはり行政に訴えていかねばならない。農協は利益を追う団体だから、ボランティア的な活動はやらない。」
と78歳のご主人。
高齢者になっている農家にとって、さらに耕作するのは並大抵ではないだろう。しかし、東の農家の不幸を西の農家が救い、西の農家の不幸を東の農家が救うのは、昔からの日本の農村に受け継がれてきた伝統ではないかと思う。
さらに日本の農業を、この震災を機会にして、たくましく復興させることがでないだろうか。
「市長に会って、話してみたらどうですか。」
と老農夫は提言してくれた。



望さんからメールが来た。


 <自分は何をすべきなのか。先日Mさんと話した時に、彼は「益々農業者として専心していこうと思った。」と言ってました。S君も「食糧の安定供給が農家の使命。」と言ってました。農業者としての社会的役割を全うしようとする彼らを頼もしく感じました。
 では僕はどうすればいいんだろう? これまでも安曇野を愛し、安曇野を素晴らしい地域にしていきたいと、地球宿をやってきました。しかし、もうちょっと次元の違うところで、社会に対して働きかけること、社会に対して仕事をすることができるんじゃないかと思えてくるのです。
 自分たちの暮らす社会は地域を越えて相互に関係し合って成り立っている。その社会がいかに不安定な基盤の上にあるのかを実感しました。 中でもエネルギーと食糧。原子力エネルギーは、もちろん恩恵も受けてきたので、僕たちにも責任があります。だけどやはり原発は要らない。食糧だって、食糧危機がくるかもしれない。
 エネルギーも食糧も他地域に依存せずに、自分の暮らす地域において自給する社会へと大きく舵取りをする時なのだと思います。
 これまでの右肩上がりの経済成長をやめて、自分たちが本当に望む持続可能な社会を導き出し、農業者も政治家もメーカーも一市民も、あらゆる立場から、その実現に向けて動き出していかなければなりません。 
 そしてその行動のベースには、僕たちが心の手を結び合い、つながり合うことが肝要だと思います。
「共に生きていこう。」 そんな思いから、安曇野の仲間たちで集まり、自分たちが何ができるのかを話し合いました。一市民に過ぎない小さな力の自分たちですが、人と繋がり合い、話し合い、被災者のためにも、自分たちのためにも、そして自分たちの子どもを含めたこれからの世代のためにも、どんな社会を創り出すのかを考えていきたいです。 そのつながりと動きを『安曇野ひかりプロジェクト』と名づけ、まず被災地応援のイベントを企画しました。」


望さんたちは『安曇野ひかりプロジェクト』を立ち上げ、イベントを26日に開催する。
望さんも、内からこみ上げるものに動かされて、煩悶しながらも何かを生み出そうとしている。
そして僕も微力を寄せて「私に何が出来るか」、社会福祉協議会の震災支援のワークショップを28日に開く。 そこに望さんたちも来て、思いと実践を話してもらおうと思っている。
28日には、被災地にボランティアとして入って活動してきた人、被災者を安曇野に受け入れている人、そして、農業者からも発言してもらおう。