前原誠司氏、辞任


焼き肉店主のおばさんは、中学二年で父親を亡くして近所に引越しをしてきた前原誠司氏を息子のように思って付き合ってきた。
そしておばさんは、年に5万円、合計して25万円を前原氏に献金した。
それが原因で前原氏は外務大臣引責辞任した。
朝日新聞は社説で、こう書いている。
「在日外国人の献金は確かに法に触れる。
だが、国会や街中の議論で『外国人献金問題』と抽象化した瞬間、
焼き肉屋のおばちゃんのいきさつは消し飛び、まるで国家間の諜報を論じるようだ。
その間に互いに本音で話しあえる大切なものが落っこちてはいないか。」
天声人語」は、O・ヘンリーの短編小説「善女のパン」を紹介して書いている。
「小さなパン屋でいつも古くて安いパンを買う男がいた。きっと貧乏なのだと女主人は思う。
ある日、彼女はこっそりパンにバターをたっぷり塗って渡した。だが、男は建築家で、図を描くときにパンを消しゴム代わりにしていたのだった。
情けが仇となり、大事な図面にバターが付いて台無しになる――。
前原氏に献金していた焼き肉店の女主人も、よもや善意が足を引っ張るとは思わなかっただろう。
在日韓国人で、苦学する前原氏を少年の頃から励ましてきた人だそうだ。」


前原氏は辞任を選んだ。
そうせざるを得なかった、だからそうなった、それは仕方がない。
前原氏は、辞任を決めたとき、焼き肉屋のおばちゃんの顔を思い出していただろう。
おばちゃんに何と言うだろう。
政治の世界の、打撃を与え、引き摺り下ろすことのみに腐心する者たちの姿が、寒い。
庶民が見えないものたち。


一つの事象の奥には、知らない世界が広がっている。
この事の奥にも、まだまだ知らない世界が無限に潜んでいるだろう。
だが、そのことを知らないで、報道される一片の事象だけで○×の評価がなされ、自分も○×を付けている。
焼き肉屋のおかみさん、今どんなに残念がっていることだろう。
前原少年と焼き肉店のおばちゃんと、どんな心のつながりを持ってきただろう。


大阪で僕の付き合ってきた在日の人たちを思い出す。
多くの人たちは人情が厚く、快活で開放的だった。
在日の長い長い苦難の歴史を共に生きてきたからこそ、それらの人たちは困苦に生きる貧しい人たちを見捨てなかった。
しかし生きることに自暴自棄になって、組員になったものもいた。
お互い大なり小なり、すねに傷を持つ、
それも含めて人間の社会を、仲良く生きることのできるものへと、昇華していけないか。